2013年6月13日木曜日

アロマテラピーへの道

私は、この「語録」を通じて、自分が28年前に日本にはじめて体系的に導入したアロマテラピー(これを芳香療法と私は訳した)について、あれこれを思い浮かべるところの、吉田兼好流にいえば「よしなしごと」を、しかし、いまこのテラピーを学ぼうとする人びとに、いつか何らかの形で役立つと考えることを書き綴ってきた。

これからも、これを続けていく。

人は、私を「日本のアロマテラピーの父」などと呼んだりする。私は、そのつど、顔を赤くして、「とんでもない。私は植物と植物を用いた療法上で、フランスの『AROMATHERAPIE、アロマテラピー』 に遭遇したまでですよ」と、へどもど答える。

うまい受け答えなどとてもできない私である。

いわんや、これを商売に結びつけ、精油を売ったり、いかにも権威ありげな協会を作って会員を集め、その会員から大金をまきあげたりして、大儲けしようなどという意欲を持つ才能は、私には全く欠けている。

その点、マイナス的意味で、天才的といってもよいほどだ。

その絶対値はアインシュタイン以上だろう。

でも、一口にアロマテラピーを紹介するといっても、これは大しごとだ。もともとフランス語やフランス文学やフランス哲学などを勉強してきた私である。懸命になって、医学・薬学・生理学・化学・生化学そのほかの知識を頭に入れなくてはならない。日夜、寝食を忘れて努力に努力を重ねた。

チョモランマの頂上を極めた方々からすれば、せいぜい八ヶ岳に登った程度の私だろう。けれども、私には一種の使命感があった。

私の母は、クロラムフェニコールという抗生物質の副作用の造血機能不全で苦しんで死んだ。聞けば、二万人から三万人に一人、そうした副作用が出るのは、当局としては織り込み済みだったそうだ。

確かに三万人と一人とをはかりにかければ、 一人なんてネグリジブルな数字、統計上の数字だろう。けれど、私にとってはたった一人の母だ。こんな悲しみを人びとに与えぬ医学・薬学はないものか。

それがアロマテラピーへと私と突き進ませる原点となった。

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