2013年6月2日日曜日

英国におけるアロマテラピーの歴史① ヒッピーの出現

そもそも、英語ではアロマテラピーという発音ではなくアロマセラピーと発音する。

ヒッピーの出現

米国がベトナムの独立を圧殺しようとして在りもしない北ベトナムが米国の艦船を砲撃をしたというデタラメをでっち上げて大義なきベトナム戦争を開始した。
米国にとっては、事実上の侵略戦争であった。そこで、米国、英国、西ドイツのあまり教育・教養がない当時の若者たちは、この戦争に反対して様々な活動を展開した。その中で一番有名なのはヒッピーである。
このヒッピーたちは、ベトナム戦争に反対するだけでなく近代合理主義自体を否定して自然に帰れ というだけでごく根の浅い感情的運動を繰り広げました
これは、彼らが自分たちの主張をきちんと理論付けできない 将来の展望を切り開くだけの哲学のない連中だったからです。ヒッピーたちの生んだものとしては、大麻やドラッグ類(LSD; Lysergic acid diethylamide)などを吸飲してハイな精神状態で歌うロック音楽やサイケデリックな絵などが挙げられます。これらは、ひたすら感情をぶつけること で生み出されるモノです。
彼らの文化としていまも残っているのは、ジーンズ、Tシャツ、グループサウンズなどでしょう。

ヒッピーたちは、それぞれ20~30人 が集まってコミューンをつくる者が多くいまし た。このコミューンには、様々なものがあり、あるコミューンでは、メンバーが皆スッポンポンのヌード姿で過ごし、当然のごとく乱交していました。また、あ るコミューンでは皆がそろってロック音楽を作詞作曲してそれを演奏したり歌ったりしていました。この歌詞の陳腐なことと言ったら!
一例を挙げれば、ビートルズの「Let it be」というヒットソングがありますが、それよりもずーっと前に世界的にヒットしたドリス・デイの「Que sera sera」とどれほど違うものでしょうか。
また、あるコミューンでは、現代医学を否定して、中国伝統医学・ホメオパシー・ハーブ医学・マッサージ療法・アロマテラピーなどの自然療法を自己流にかじって耽ってみたりしました。
でも、これらヒッピーたちの産んだ文化を仔細に吟味すればその凡庸さに皆さんはお気づきになる筈です。
哲学がない彼らは、結局のところ今までの社会秩序・社会通念の世界に戻るしかなかったそのことがヒッピー文化に痛ましくも象徴的に表現されています。
また、彼らが今日のホームレスと決定的に違うのは、彼らには金があり、日がな一日、ドラッグなどにふけり、ブラブラしていられたところでしょう。

現代文化そのものが戦争などの悪の根源であるとして、これを完全否定した代表格のビートルズは、いまやトイレだけでも12もある大豪邸をもつタダの大金持ちの大俗物に成り下がってしまった(つまり、今までの社会秩序・社会通念の世界に戻る)ということがその当初から予見されていたといえましょう。 

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