2013年7月29日月曜日

塩田清二著 ≪香りはなぜ脳に効くのか≫続き

前回は、塩田清二氏の上記の書物の「まえがき」について感じたところで紙数が尽きてしまい、中途半端なものに終わってしまったことを、お詫びしたい。

さて、前回にのせた感想と同じことを、NHK出版の大場編集長にお伝えしたところ、塩田氏は、たとえこの療法がルネ=モーリス・ガットフォセが「アロマテラピー」と名付けようと、自分は医療という意味を強調したいので、あくまでもアロマセラピーと称し続けるとおっしゃっていた、と大場氏からお話があった。

だだっ子のような人を相手にしてもしようがないと思ったが、やはり正しいことをお知らせするのが私の義務だと感じた。

しかし、これはまず塩田氏の認識不足からきていることは、同書61ページにこうあることからはっきりわかる。

「みなさんは、アロマセラピーという言葉を頻繁に耳にしていることでしょう。(私はアロマテラピーという言葉のほうを、より頻繁に聞いたり、見たりする が―高山)。

aromaとはギリシャ語で香りや香辛料の意味で(これは誤り。aromaはもとをたどればギリシャ語にまでさかのぼるが、ルネ=モーリス自身はこれをラテン語とはっきり認識していた―高山)。

セラピーは治療のことです(ギリシャ語にセラピーなどという語は存在しない―高山)。精油を用いた治療法を確立・体系化したフランスの化学者ルネ・モーリス・ガットフォセ(原書ママ)(1881-1950)が、この二つの言葉を合成して創り出しました。現在では、アロマセラピーとは『精油を薬剤として用いた医療』というのが、一般的な定義になっています」。


René-Maurice Gattefosséが創り出したのは、ギリシャ語をもとにしたラテン語で芳香・香辛料を意味するaroma(アロマ)と、同じくギリシャ語のhealingの意味に由来するtherapeia(テラペイア)とを合体させたものであり、どうしてもアロマテラピー(正しくはarɔmaterapi と発音する。日本語のように“l” “r”とを同じに発音する言語と違い、“r”は、舌背を高くした破擦音で出すが、口蓋垂をふるわせるかして発し、théはどうあっても、テ[te、厳密にはつぎにraがくるので、やや口をひらいて tɛと発音するフランス人が多い]でないとおかしい。なぜ、著者はここでいちおうアロマテラピーとしておいて、私はこれこれの理由で、わざわざこれをアロマセラピーと英語読みすることにしますと、そうするわけをここで詳しく説明しないのか。いや、できないのか。

relaxation は、大場編集長によると、塩田氏からこれを「リラクゼーション」と説明する理由はついになかったとのこと。人間は「リラックス」する。その名詞形は「リラクセーション」だ。「リラクゼーション」だとあくまでこだわられるなら、その動詞は「リラックズ」ということになり、さしずめ人間の「クズ」が行うことだろう。

65ページ

「たとえば、サンダルウッド(白檀)の主成分であるα‐サンタロールについて、経鼻吸収した場合と経皮吸収した場合の作用を比較すると、経鼻吸収では興奮作用、経皮吸収では鎮静作用という、正反対の作用を示したという報告があります」。
 その参照資料名をなぜ記載しないのか。いったいいつの研究なのか。私がこれにこだわるのは、ほんもののインド・マイソール産のサンダルウッド油は、現在ではまず入手不可能だからだ。ニセモノのサンダルウッド油での研究結果など不要。ここをはっきりさせてほしい。この本のうしろに載せてある精油会社のサンダルウッド油は、さまざまな意味で、すべてニセモノだ。

76ページ
ルネ=モーリス・ガットフォセがアロマテラピー(塩田氏のいうアロマセラピー)の研究にのめりこむようになったきっかけは、1910年の実験室での爆発事故でした。

とあるが、ルネ=モーリスの孫娘夫妻に確認したところ、この事故は、1915年7月15日のことだったとはっきりわかった。訂正をお願いする。

この日は、 ルネ=モーリスの最初のこどもが生まれる日で、彼も冷静さを欠き、このような事故をおこしてしまったとの話であった。

しかも、身近にラベンダー油を入れた容器などなく、ルネ=モーリスは上半身火だるまになって研究室からとびだし、芝生の上をころがりまわって火を消した。しかし、ひどい火傷を左手、頭部、上背部に負ってしまった彼は、病院にかつぎこまれ、3か月もの入院を余儀なくされ、ずっと医師からピクリン酸による治療をうけていた。

しかも、患部は壊疽化し、ガス壊疽化したとのことだ。

この段階で、はじめてルネ=モーリスはラベンダー油の使用に想到し、それによって一定の効果が得られた(この点、いろいろ疑問が残るが)。事実をしっかり確認して、(調べればわかることなのだから)お書き頂きたい。

医学の知識のない彼が、この療法を体系化し、確立したなど、とんでもない話である。

だいたい、アロマテラピー(塩田氏のアロマセラピー)などということばを一目見ても、これが医学・薬学・比較病理学などとはまったく無縁の、(しいていえば、ぐらいのところだろう)香料化学者・調香師程度の人間、塩田先生のような医学的な知識の塊のような方とは縁もゆかりもない人間の造語だとすぐわからなければヘンである。

2013年7月26日金曜日

梅の花を詠(よ)んだ詩

八世紀、唐の詩人、王維(おうい)の詩の一つ。多才な人物で、詩がみごとだっただけではなく、画も書も巧みで、画家としては、山水(さんすい)画が得意で、南画(柔らかい筆遣いを積み重ねるようにして、淡彩や墨絵で描く画法による画)の祖といわれている。

日本人にもこの画は好まれ、池大雅[いけのたいが。江戸時代の画家]、与謝蕪村[江戸時代のユニークな俳人で、南画、俳画でも有名]らが、この画風に追随した。

この詩は、「雑詩(何ということもなく作った詩)」と題され、さして名高いものではないけれども、私の好きな漢詩の一つとして、ご紹介したい。


君自故郷来(きみ こきょうより きたる)

応知故郷事(まさに こきょうのことを しるべし)

来日綺窓前(きたるひ きそうのまえ)

寒梅著花末(かんばい はなをつけしやいなや)


《通釈》

あなたは、私のふるさとのほうからはるばるいらっしゃったのですから、
きっとなつかしい、わが故郷のたよりをおもちでしょう。
あなたが、ふるさとをお発(た)ちになった日、あなたの家の窓の前の
寒梅(かんばい)は、もう花を開きはじめていましたか、それともまだでしたか



 同郷の友がはるばるやってきたのだから、さぞかし聞きたいことが多いと思うのだが、まず寒中の梅のことを尋ねた詩人。

彼にとっては、故郷の想いは、まず梅の花の姿、香り、色とともにあったのだろう。綺窓は、あやのある美しい窓のこと。

後世の11世紀の北宋のこれまた大詩人で大画家、政治家としても要職を歴任し、波瀾の人生を送った蘇軾(そしょく。蘇東坡[そとうば]とも呼ばれる)は、「王維の詩をじっくり味わうと、詩のなかに画を感じ、またその画をよく見ると、画中に詩がある」と、エスプリの利いた批評をしている。

この詩は「五言絶句(ごごんぜっく)」の形式で読まれている。


2013年7月23日火曜日

アロマテラピー余話

アロマテラピーというコトバは、ラテン語のaroma(芳香、近頃は日本語にもなってしまった“アロマ”)と、therapeia(療法という意味の、もともとはギリシャ語に由来するテラペイアと発音するラテン語)とを一つに組み合わせて新しく造語された、20世紀生まれの新顔のフランス語である。

これらのラテン語から、長い年月をへて、aromaから“arôme(やはり芳香を意味するフランス語)”と“thérapie(これも療法という意のフランス語)”がしだいにつくられた。

しかし aromathérapie、アロマテラピーという新語はarômeとかthérapieとかと違って、フランス人のルネ=モーリス・ガットフォセという香料化学者で調香師であった人物が、「だしぬけに」、「人為的に」急造したコトバである。

この「アロマテラピー」が生まれるにあたって、一つの精油、すなわちラベンダー(Lavandula angustifolia var. angustifolia)の精油が重要な役割を果たしたことは、いまや伝説的な話にまでなっている。

これに関して、いくつか考えることがある。

◎研究室で、かなり大きな爆発事故をおこし、病院にかつぎこまれ、火傷を負った部分が壊疽(えそ)状態を呈するまで、どれほどの時間がかかったか。

◎また、壊疽をおこした部分に入院して2~3ヶ月後にラベンダー油を塗布したらしいが、火傷になった直後ならともかく、そんなに時間が経過して、ガス壊疽状態にまでなった患部に、果たして伝えられているほどの「めざましい効果」がほんとうに見られたのか。痕も残らなかった? それは到底信じられない。

◎「研究室で、彼がちょっとした爆発事故をおこし、片手に火傷を負ったが、そこにあった容器中のラベンダー油にその手を浸したところ、きわめてスピーディーに、痕も残らず火傷がなおった」という、いままで巷間伝えられていた話は、まったくの嘘だったことは、肉親(ルネ=モーリスの孫娘夫婦)の証言で明らかになっている。しかし、この夫婦も、その現場に居合わせたわけではない。すべては、ルネ=モーリス・ガットフォセの息子の故アンリ=マルセル・ガットフォセ博士からの伝聞であり、また聞きのまた聞きである。だから、夫妻のことばも100%信じるに足りるものではない。

◎2~3ヶ月も経ってからラベンダー油を患部につけたというが、そのラベンダー油が最初から病室においてあったはずはない。とすれば、正確なところ、ラベンダー油の適用をいつ、どうして思いついて、病室にまでもってこさせたのか。また、その精油の使用をそれまでピクリン酸を使って手当していた病院医はなぜ許可したのか。そのわけを知りたい。孫娘夫婦(モラワン夫妻)は、その辺をあいまいに答えていた。もっともっと、キッチリ、あまさず聞き出しておくべきだった。ここは、まさに私の責任だ。
この「火傷のアクシデント」については、これ以外にも確認しておくべきだった、と思うことがあるが、これについてはここでやめておこう。

しかし、28年前に私が初めて体系的にこの療法を日本に紹介したときは、この自然療法の提唱者、René-Maurice Gattefossé の名前がなんといっても無名人の悲しさで、その年々の話題を集めて解説した本(『知恵蔵』とか『現代用語の基礎知識』といった)でも、このアロマテラピー(アロマセラピー)の創唱者の名前を、有名な国立大学教授までが、ルネ=モーリスの名はともかく、ファミリーネームのGattefosséを、「ガテフォゼ」、「ガットフォス」、「ガット・フォス」などと平気で書いていた。いまでも、その残党がネット上などに生き残っている。

そして、ルネ=モーリスが、「比較病理学者」だったなどと解説している「識者」も多かった。

恐る恐るご注意申し上げると、「てめえ、いちゃもんつけるのか!」と、さすがに大手新聞社様の貫禄たっぷりにスゴマれたりもした。

でも、「自分たちは何でも知っている。何一つ誤ちは犯さない」という、その編集者様の満々たる自信に、うらやましさも覚えた。

しかし、aromathérapie(芳香療法)などというコトバ一つとってみても、 これが医学者とか薬学者とか、あるいは「比較病理学者」などが新しく開発した療法につける名前だと思うほうがフシギである。そんなささいなことを指摘してみてもつまらないから、私はいつも違和感を覚えながら、ただ「アロマテラピー」とだけいっていた。

ま、そんなことがCMなどで「アロマの香り」などというヘンテコなコトバを流させてしまった原因かもしれない。


2013年7月22日月曜日

サンダルウッドについて

サンダルウッド(ビャクダン)は、ふしぎな芳香植物である。これは樹高の低い木で、植えてから(あるいは芽を出してから)80年から90年という樹齢で一生を終える。

ここでこの植物を取り上げたのは、この精油は、いま市販されている各種のニセモノ精油のチャンピオンクラスの一つなので、人間の悪知恵の例として興味深いこと、また実際にこのテラピーに携わっている方がたのご参考に多少ともなればと願ってのこととご了承頂きたい。

サンダルウッド(Santalum album)は、ビャクダン科の一科一属一種の木本植物である(と、断言してしまうのは、厳密には少し問題があるが)。

この木は、緑の葉をつけ、光合成をするにもかかわらず、先に吸盤のついた吸根をのばし、それをほかの植物の根部に吸い付かせ、寄生した植物からもチャッカリ栄養分を頂戴する。この作業は、幼樹のころからすぐに開始する。幼いころは、イネ科・アオイ科の植物からこの寄生(正確には半寄生)をはじめ、生長するにしたがって、寄生対象となる植物を最高140種にまで拡大する。

他人が努力して地中から吸い上げた養分を横取りするなんてけしからん植物みたいだが、そうしないとサンダルウッドは自力だけでは生育できないのである。半寄生植物の宿命だ。

ユーカリなどは、有毒物質を根から分泌して、周囲のほかの植物を殺してしまう(まあ結果的にはサンダルウッドと同じことになるが)のだから、さらにひどいヤツということになるかも知れない。けれども、生きるために(個体として、また種族として)は、やむを得ない所業なのだ。責任はすべて自然にあり、それを創りだし、司る神様にあるのだろう。

そして、その植物に直接寄生して、それを食って、草食動物は生きるエネルギーを得るし、その草食動物をエサにして肉食動物は生命をつなぎ、子孫へと命のバトンタッチをしている。

でも、それは彼らとしては最低限度の「殺生行為」であって、私が彼らの行いを裁く立場にあったら、彼らの行為の罪を問うことはしまい。そもそも人間がどんなデタラメなことをしているか、よくわかっているからである。

サンダルウッドの、ことに心材部分の香りは形容しがたいほど、エキゾチックでオリエンタルなものと西洋人には感じられるらしい。心材から発するこの香りは、この樹木の内部で産生されるエッセンスが放つものである。

サンダルウッドの自然生産地は、インドのカルナータ州で、ここにサンダルウッドの名産地、マイソールがある。この州で、インド産サンダルウッド油の90%が生産されている。

しかし、長年の伐採のせいで、サンダルウッドの原木数が激減してしまったのでいまではマイソール産のホンモノの精油は、普通の商業ルートでは、まず入手できなくなってしまった。

インド政府がほとんどすべての原木を管理下におき、(原木毎にナンバーがつけられている)、盗伐・精油密輸などを厳重に取り締まっているためである。

そこで、現在我が国などで販売されている「サンダルウッド油」はまず例外なくニセモノとみてよい。本来のサンダルウッド油は、

α-サンタロール(アルコールの一種)45-60%
β-サンタロール(アルコールの一種)17-30%
エピ-β-サンタロール(アルコールの一種)4.3%
トランス-β-サンタロール(アルコールの一種)1.6%
シス-ランセオール(アルコールの一種)1.2%
α-サンタレン
β-サンタレン  (αβ二つ合わせて)10% サンタレン類はいずれもセスキテルペン類(C15)
エピ-β-サンタレン 6%
テレサンタラール(セスキテルペナール[アルデヒド類])

などからなっている。

現実に販売されている「サンダルウッド油」は、アミリス油、アラウカリア油、シダーウッド油、コパイバ油、はてはヒマシ油(これはそもそも精油ではない。脂肪油である。下剤だ!)がたいてい加えられているばかりか、流体パラフィン、グリセリルアセテート、ジエチルフタレート、ベンジルベンゾエート、ベンジルアルコール、ジプロピルアルコールも添加されているものが大半といってまちがいない。

あなたは、本もののサンダルウッド油を嗅いだことは、まだあるまい。一度本ものを嗅げば、市販のものとの差がどんなに大きいか一驚するだろう。一言でいえば、市販のインチキ品に比べてはるかにマイルドな香りなのだ。

業者が、マイソールの原木と同一植物を中国の雲南に、インドネシアに、オーストラリアその他の土地に植えただけだと言い張ってもだめだ。京野菜を関東地方に植えても、決して同じ味の、同じ歯ごたえの、同じみずみずしいあの京野菜には絶対にならないのと同じことで、植物学的にどうのこうのといおうと、嗅覚の世界、味覚の世界ではニセモノであるとしかいいようがない。

前記のものは、各種グレードのインチキ品を本ものだと言って売っているから犯罪的だといってまちがいないが、そんなことは最初からせず、“サンデラ、Sandela”とか“サンダローア、Sandalore”とかいう商品名で、最初から「ハイ、合成品でございます。その代りうんとお安くしておきまっせ」とヘラヘラ笑いながら、サンダルウッド油の類似品を販売している業者もいる。

それで満足できる人には、とやかくいうまい。
しかし、こんなしろものは絶対にアロマテラピーでは使用してはならない。百円ショップの「アロマオイル」と同じだ。

付記

・本もののマイソール産のサンダルウッド油は、いまはもう商業的には入手できないと考えておいてほしい。

・ アミリス油(Amyris balsamifera)は、それなりの効用があるちゃんとした精油なのに、(「84の精油」参照)これに「ウェストインディアンサンダルウッド油」などと詐欺的な名称をつけるのは道義的に許されぬ行為だ。

・オーストラリアンサンダルウッド(Fusanus spicatus)油なるものがある(別名Eucarya spicata)。
これもニセモノの一種だったが、いまではこれも哀れや乱伐の犠牲となって、現在ホンモノ同様入手不可能になってしまった。

・サンダルウッド油のニセモノが作りにくいのは、主成分のα,β-サンタロールの合成が困難なためだ。そこで、香りがかなり似たトランス-3-イソカンフィルシクロヘキサノールが一般に利用されているが、その薬理効果の問題は措いても、このせいで市販のサンダルウッド油が本もののサンダルウッド油の香りになかなか近づけないことも知っておいて欲しい。

笹餅(ささもち)の思い出

私は、ここ30年以上も「餅」というものを口にしたことがない。食べたいという気持ちになった経験も、まるでない。なぜだろう。

毎日、ほとんど飢えていた6歳、7歳、8歳のころには、正月や祭礼の日などに裕福な家に遊びに行ったとき、おこぼれのように餅を食べさせてもらえることがあった。

あのときほど、餅のおいしさを、総じて食べ物のうまさを感じたことはなかった。

聖書を読んで、「人はパンのみにて生くるにあらず」などというキリストのことばに接しても、「そりゃそうだ。すいとんや雑穀・雑草入りのめしやマメや、たまには餅なんていうご馳走を口にしたりして生きてるんだもんな」と、キリストのことばの意味を百も承知のうえで、ふらちでへそまがりな言葉を言い散らしていたのが敗戦後の私だった。

食料事情を含めて、日常生活の苦しさは、敗戦後、数年間がピークだった。

リンゴを盗んでしまったことを悔いてみずから縊死した先生が使用したフンドシが汚れていたのも、ろくな石けん一つなかったからだ。まるで泥が混じっているのではないかと思われるような石けんだった。洗濯板をたらいなどに立てて奥さんが洗濯物をゴシゴシこすっても汚れが落ちるどころか、かえって汚れが増すようにさえ思われる代物だった。

機敏な商人たちは、米国の兵士たちがクチャクチャ噛んではぺっと吐き捨てるチューインガム(こどもたちは、チューリンガムなどと呼んだ)のニセモノを作って、こどもたちに売りつけた。

その偽ガムの素材は、いまもってわからない。

ただ、本もののガムとの決定的なちがいは、ニセモノのガムには、甘味もミント風味も、まるっきりなかったことだった。

食料事情は、自分の家が米作農家だったり、親類縁者の家がそうであったりする場合はべつだったろう。せいぜい、現代のように新鮮な魚介類が口にできなかったという程度の記憶しかない人びともいると思う。でも、私のような境涯の人間は、多かったはずだ。そうだったからこそ、有名な「食糧メーデー」などというものがおきたのだ。

話は変わるが、植物のなかには、それ自体は食物にならないけれど、食物といろいろなことで「相性(あいしょう)」がよいものがある。その一つがササだ。また、タケもそうである。どちらもイネ科タケ亜種に属する植物で、人間の都合で区別されているだけのものだ。生えてきた時についていた皮が早く剥がれ落ちる種類をタケと称し、皮が一年もの間、本体からとれずに残っているものをササと呼ぶだけのことであり、いろいろ種類はあってもいずれもごく近縁だ。

たとえば、このタケの皮で握り飯など包むと保(も)ちがよいらしい(本当にそうかどうか、私自身で実験したことはないし、何か皮から分泌されたという学者の文章に接したこともないので、なんともいえない)。

ササの葉も同様の作用があるようだ。

私のすごしていた信州北部は、たぶん新潟文化の産物の一種と思うが、二枚の大きめのササの葉の間に餅をはさんだ笹餅というものがあった(ほかの地方にも、きっと同様な食品があったに違いない)。餅がおいしいだけでなく、餅にササの香りが移って、それがまたたまらなく魅力的だった。

前日に大雪が降った休みの日だった。きのうの空がウソのように晴れ渡って、陽光がまぶしく、暑ささえ覚えた(オーバーではない。何ごとも比較の問題で、南極で観測をした従兄弟によると、摂氏3度ぐらいになると極地で勤務する隊員たちは「暑い、暑い」と、みんな半袖姿だった。そのときの写真も見せてもらった)。

私は陽気に誘われて、家の外に出た。すると、年齢はまだ若い一人の男性の盲人が杖をたよりに苦労して歩いていた。無理もない。大雪が道に積もると、いままで杖の感触で頭の中に作り上げてきた世界がまるで変わってしまうのだから。

私は思わず、彼のもとに走り寄って「兄(あん)ちゃ。どこ行くの? 駅?」と尋ねた。
盲目の青年がうなずくのを見た私は、「じゃ、いっしょに行こ」と、青年の手をとった。青年の表情はあまり変わらなかった。

でも、彼は「ありがとう」と言って、杖を地面から離して胸に抱きかかえるようにした。

そして、すべてを私にまかせた。

私は、その盲人ができるだけ歩きやすい道をゆっくりと案内した。2人の間には、これといって共通の話題もなかったので、私はちょっと『リンゴの唄』などを口ずさんだ。

青年は嬉しかったのだろう。その蒼白だった顔は、灯をともしたランプの火屋(ほや)のように、ぽっと赤らんだ。

いくつかの横町を気をつけながら、私は彼を案内しつづけた。間もなく、私たちはその町の駅に着いた。

駅の表側に作られた駅の待合室に、彼と私とはいっしょに入った。彼は座席に腰をおろした。

「じゃ、さよなら」と言って、青年に声をかけて、私は彼から離れていこうとした。そのとき、その盲目の青年はだしぬけに「ちょっと」と私に声をかけて、もっていた小さい袋から笹餅を一つとりだして私にさしだした。

私はびっくりした。盲目の人のそんなところから笹餅などというご馳走が出現するなどとは、まるで想像もしていなかったからだ。私は、「そんなつもりであなたを案内したんじゃない」などと、断れなかった。お礼をいって受け取ってしまった。嬉しかった。

外でものを食べたりするのは、見よいものではない。しかし、空腹をかかえて歩いた私は、とうとうガマンできずに笹の皮をむいて、餅にかぶりついてしまった。あっという間もなく、香りのよい笹餅は私の胃の腑に納まった。

そのとき、私はハッとした。「これは、あの目の見えない人の弁当だったんじゃないか。それをオレは食ってしまったんだ。どうして、これをうけとるとき、そのことを考えなかったんだろう。ああ、オレは思いやりがなかった!」と、ひどい後悔に襲われた。

私は、べつにあの見ず知らずの人にとくに親切にしようと思って、あんなことをしたわけではない。私があの盲目の青年の道案内をしたのは、いわばちょっとした気まぐれだからだった。だから、私の後悔の気持ち、あの人の弁当を奪ってしまったという自責の念が、ひとしお強かったのだろう。どだい、私は冷静に自己を分析してみて、親切心など人一倍少ない方に属するだろうとさえ考えている。

かなり前に、ある小説の登場人物の一人が、「近頃は、他人に親切にすることを、まるで損をするみてえに思うヤツらが増えやがって」(この人物は江戸っ子という設定になっている)とこぼす場面を読んだことがある。

でも、私はこの人物に言いたい。

「いいえ。そんなことはありませんよ。親切な人間はまだまだたくさんいます。縁もゆかりもない他人のために、自分の身を犠牲にしたり、自分の知識を惜しげもなくほかの人に与えたりして、その人の幸福を願う人びとは決して少なくはありません。

列車や飛行機のなかで具合の悪くなった人の手当や介護などにあたる、たまたま同乗した医師・看護師は一円だって礼金なんて受け取りませんよ。……病人に手を出さない人間は親切心がないからじゃない。そのための技倆や知識などがもともとないからです。ミソもクソもいっしょにして、そんなことをおっしゃるものじゃありません」と。

でも、あの笹餅の味と香りとは、いまもって忘れられない。それでいながら、私が成人後は餅をまったく口にしなくなってしまったのは、いったいなぜなのだろう。

2013年7月17日水曜日

私が国鉄をやめたわけ

私は、かつて国鉄などというところに就職した。そして、二年弱で退職した。

その理由は、「想像も及ばぬ国鉄の『封建的体質』に嫌気がさし、さらに自分の地位の不安定さ、あいまいさに耐えられなかった」からだ、と一応同僚や関係者などには説明した。

上司たちは寄ってたかって、さんざん私を引き留めようとした。私は自分が優秀な人材だったからだ、などとウヌボレるつもりは全然ない。ただ、英語、フランス語の技術文献を自在に読みこなしたり、外国の主要鉄道組織(国によっては、国鉄が存在しないところも多々あった。その場合は大規模な私鉄をそれに準じるものとして扱った)と国際会議を開く際のフランス語圏諸国からの書簡や文献などの翻訳や、場合によっていは通訳係などをつとめる職員がきわめて国鉄に少なかったためだろうと思う。

だから、詳しいことは省くが、私は23号俸という高い給料を支給されていた。
同期に国鉄に入った支社採用の人たちは17号俸という月給額だった。

私は、自分がそうした待遇を受けていること自体、逆に嫌でたまらなかった。17号俸組の私を見る目が、私の心を痛めつけたのだ。

私が国鉄を辞めた理由。それは前述のことももちろんあった。しかし、もっともっと私の心に深刻な衝撃を与えたことがある。そのほうが、人にはいえない大きな理由だった。

何かの折に、同期に国鉄入りした17号俸組の一人の職員が、私が東京外語大学卒と知って、「あなた、ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』を読んだことがありますか」と、尋ねてきた。

私は、あのとき、「いやあ、私はフランス語学、文学専門なものですから・・・・・・」と、逃げればよかったのかもしれない。でも、ドストエフスキーのこの著書の、およそ日本語になっていない訳文と(私はロシア語は学んでいたが、この本は訳書に頼らざるを得なかった)、また難解なキリスト教神学と格闘しながら(ドストエフスキーは、カトリック神学もプロテスタント神学も、もとよりロシア正教会の神学にも精通している)、またフランス文学的な心理分析とずいぶんかけ離れたロシア人的な心理分析手法にとまどいながら、と同時に推理小説を相手にしているような、著者が絶えずかけてくる謎を解くような異様な興味をもってこのドストエフスキーの訳書を読んでいた私は「ええ、ありますが」と答えてしまった。

すると彼は「では、あの本のイワンの語るレーゼドラマの『大審問官』の、復活したキリストにたいする問いについて、どう考えますか」と聞いてきた。ズバリ、私がいちばん悩んだところを突いてきたのだ。

私は、かつて「おとなにはなるまい」と考えたこともあった。しかし、人間はどうしても薄汚い周囲の空気を吸い、いやでも汚らしい「小ずるいおとな」にならざるを得ない。いまなら相撲でいう「変化」をして、この人間にたいして「うん。でもね、ドストエフスキーは一言もあの男を『復活したキリスト』とは書いていないんですよ」などとあやなすかも知れない。

でも、これは卑劣な手だ。たとえ著者自身がそう書いていなくても(事実書いていない)。

その90歳になんなんとするカトリックの守護者をもって任じる16世紀のスペインの大審問官、100人もの異端者をセビリアの広場で焼き殺したばかりの大審問官自身をはじめ、貴紳のつどっているその広場に理由も不明のまま、むかしむかし刑死して昇天した一五世紀後、だしぬけに出現したキリストらしき男、そして福音書に書かれたキリストさながらに死んだ人間を蘇らせたり、盲目の人に新たに光を与えたりする男を見れば、誰もがその人物を「復活したキリスト」と信じるのは当然だ(もっとも、キリスト教世界では、やがてはキリストが復活するという信仰は根強いけれども、真のキリストが再臨するのに先立って、偽のキリストが出現するという考えかたがあり、ヒトラーやムソリーニなどがそれに擬せられたこともあったと聞く)。

亀山郁夫とかいうロシア文学者と称する男は、「私は、この人物が偽キリストだったのかも知れないと思う」などとバカらしいコトバを吐いている。

 しかし、かりにその人物が偽キリストであろうと、人びとがそれを本ものだと信じれば、偽も真もヘッタクレもない。同じことだ。本もののキリスト教徒であれば、大きな問題なのかも知れないが。
…ともかく大審問官はその男を捕らえさせ、牢獄にぶちこみ、深夜そこを訪れて自ら男を尋問した。
この両者の対決については、訳書にあたってご覧いただきたい。

さて、私はその職員にたいして、「私は、大審問官の言い分は、筋が通っていると思いますよ。だって、空腹で砂漠をフラフラとさまよっているキリストに悪魔が石をパンに変えてみろといったんでしょう。すると、キリストは『人はパンのみにて生くるにあらず』と答え、人間は神のことばで生きるのだと付け加えたと私は記憶しています。

でもね、神のことばを食って生きている人間なんて私は見たことは一度もないんです。ごはんやパンや菓子などを食って、現に人びとは生きているじゃありませんか。神父だの牧師なんていう例外はあるかも知れないけどね」とチャカすように言った。

 さらに、私は「福音書に、キリストがカゴの中に少ししか入っていないパンを何千人分にもふやしたという話がありますね。あの手をなぜ人々に平和主義者キリストは教えて歩かなかったんでしょう。キリストなら石をパンにすることなんて容易だったはずだ。

それをキリストがしなかったばかりに、人殺しが行われたり、戦争が起こったり、革命が勃発したりして人の血が流された。すべての世の悪事の源は神にあり、キリストにあると私は思っている」と、意地悪く言った。

さらに、私はつけ加えた。「それだけじゃない。高いところから飛び降りてみろと悪魔が言ったら、神を試すものではない、なんてキリストは言って逃げている。私は、キリストはね、本当は神などあまり信じちゃいなかったとさえ思っている。これはドストエフスキーとは直接関係ないけどね。だって、いくつかの福音書に十字架にかけられたキリストが『エリ、エリ(あるいはエロイ、エロイ)ラマサバクタニ』(父よ、父よ、どうして私をお見捨てになるのですか)と苦しがって、わめいているじゃありませんか。本当に神を信じている人間が吐く言葉でしょうかね、これは」。

その同僚は、私に何もいわなかった。でも、私を見つめるその目には、何か絶望感があったような気がする。むろん、いまにして思えば、だが。私は相手をチャカしすぎたと思って、口をつぐんだ。彼も、ずっと黙りこくっていた。

その数日後、彼が行方不明になったという噂が広がった。そしてさらに何日かして、その死体が熱海の自殺の名所、錦ヶ浦に浮かんだという話を聞いた。彼はキリスト教徒だったのだろうか。だとしたら、自殺はしまいとも思った。いや、これはきっと事故なんだとムリに思おうとした。

あの同僚は、どういう気持ちだったのか。ひょっとしたら、こんな私に彼は真剣に救いを求めていたのだろうか。

嫌な嫌な気分になってしまった私だった。

まるで、人殺しをしてしまったような気持ちだった。国鉄をやめてしまおうと考えたきっかけは、これだった。

私は、このことはいままで誰にも言ってこなかった。私のキリスト教理解も、『カラマゾフの兄弟』の理解も、いま考えれば浅薄極まるものだった。

キリストは人間にパンではなく「自由」を与えた。しかし、自由とは恐ろしいものだ。この話は長くなるからやめよう。それは本当に神の愛とイコール記号でつながるものだろうか。

サルトルは、「人間は自由の刑に処せられている」と言う。この言葉については、人間があらゆる面で「不自由」さを作り出して、万事をそのせいにしてその中でホッとしているのを見れば、誰しもサルトルの正しさを納得するだろう。

明石にて講演を行います


2013年9月1日 兵庫県明石市にて講演を行います。

講演詳細や申し込みについて  (facebook)

みなさまにお会いできるのを楽しみにしております。高山林太郎



2013年7月12日金曜日

塩田清二 著『<香りは>なぜ脳に効くのか』について

タイトルの本の題名は、NHK出版新書から、塩田清二氏(昭和大学医学部教授)が昨年出された本の題である。アロマセラピー学会理事長をつとめている方だそうだ。

たいへんわかりやすく書かれた書物だと思った。「はじめに」の項で、宗教と香り、ないし香(こう)との関係が記されているのも興味深い。

ただ、カトリック・ギリシャ正教に触れるならば、別の部分でもよいから、この両者の終油の秘跡(ひせき)についても述べて頂きたかった。

カトリックでは、人が死んでからその額に香油を塗る。しかし東方正教会ではまだ生きている瀕死の人間の額に香油を塗る。

私は、このほうが「芳香療法」のプロトタイプに、より近いのではないかと思う。なお、東方正教会では「秘跡」とはいわず「機密(きみつ)」と呼んでいる。

まあ、著者の先生がアロマセラピー学会理事長ということもあって、「アロマセラピー」という用語を採用されたのだとは思うが、やはり現代の芳香療法の名付け親であるルネ=モーリス・ガットフォセの作ったAROMATHERAPIEということばの発音に、より近い、「アロマテラピー」を使用して頂きたかった。


ここで、「フランスやベルギーでは長らく医療行為として認められているアロマセラピーですが」ということばがある。どういう根拠に基づいてこう言われるのか。

まず、フランスでは、現在ではアロマテラピーに不可欠な精油は、たとえばパリなどの薬局にはない。また、精油も健康保険が適用されている「薬剤」ではない。フランス・ベルギーの薬局方で、すべての精油が認められているとは、とうてい信じられない。責任あるご発言をお伺いしたい。

また、そのすぐあとに「リラクゼーション」という聞き捨てならないコトバが出てくる。塩田氏は、人間はrelaxすることはご存知だと推察する。これにいちばん近い日本語発音は「リラックス」だろう。

relaxするのは、「くつろぐ、息抜きをする、レクリエーションする等々」にあたる行為をすることだ。

人間には、リラックスは大切だ。けれどもリラッグズする人間はいないはずである。もしいたら、それは人間の「クズ」だろう。

塩田氏はきっと、relaxation という英単語にお接しになったことがないのだろう。一度、ぜひ英和辞典で信頼のおけるものをじっくりと読んでいただきたい。relaxation は、英国と米国とでやや発音が異なる。しかし、リラクゼーションという発音記号が載っている権威ある辞典があったら、ぜひご教示をお願いしたい。人間はリラックスする、だからその名詞形はリラクセーションを措いて存在しない、と思うからである。

このリラクゼーションなる異様なコトバは、はっきりいって大都会の歓楽街で、ヤクザが経営する、いかがわしい不潔なファッションヘルスで作られたコトバだ。アロマテラピストも同断である。これらは英語でもフランス語でもドイツ語でもない。珍無類の日本産のコトバだ。塩田先生のご人格を疑わせないためにも、リラクゼーションは、なにとぞおやめ頂きたい。この本には、何箇所もこのコトバが登場するので、あえて失礼を承知で申し上げておきたい。

香りが脳に及ぼす影響が大きいことは、きわめて興味深い事実である。
たとえば、室町時代あたりから日本で広まった(もとより一部の人間にかぎられているが)香道では、伽羅(きゃら)、羅国(らこく)、真那伽(まなか)、真南蛮(まなばん)、佐曽羅(さそら)、寸聞多羅(すも[ん]たら)の六国(りっこく)の香を一定のルールでたき、一種のゲームとしてそれを鑑賞する(聞香[もんこう]という)のだが、これらのいずれの香にも、それぞれ薬理効果があり、一通りの聞香を終えた人間は、みな心底リラックスするとともに、この上ない、生まれ変わったようなさわやかさを覚える。そして、とくに強調したいのは、この香道の師匠は、いずれも心身ともに健康で、脳を絶えず刺激するせいか、年齢を重ねても、認知症などとは無縁で、長寿を保つ人びとが多いということである。

この香道に立脚して、というか、これを利用したのが秋田大学の長谷川直義先生の聞香療法である。長谷川先生は、この療法で中年女性らの不定愁訴に対処されたと聞く。

日本発のアロマテラピーとして、この話をぜひご解説願いたかった。欧米人も、これに強い興味を寄せている。

今回は、この本の冒頭部のみの感想に終わってしまったが、内容についても追ってじっくり勉強させて頂き、感想を述べさせていただくつもりでいる。

2013年7月11日木曜日

ニセモノについて

私はかつて、有料ボランティアということばにぶつかって、仰天したことがあった。

私は自分をコトバ屋だと思っている。コトバというものが、もとより事実を100パーセント正確に表現できるものではないことは、百も承知二百も合点だ。この原則は、私たちが日常接したり、使ったりしている日本語だけではなく、英語でもフランス語でもドイツ語でもロシア語でも、あらゆる言語に共通して存在している(それぞれカタチは異なるだろうが)。

だから、インチキ屋、あらゆる方面のインチキ屋は、それぞれの言語の特質に応じて、それを利用して、とんでもないウソを言ってきた。

たとえば、これは笑い話みたいだが、そのむかし、江戸城内にも天気予報士みたいなのがいて、「明日は雨が降り申す 天気ではござらぬ」などと言っていたそうだ。「あしたは雨が降ります。お天気ではありません」と、このことばを解釈すれば、あくる日が雨天ならば予報があたったことになるし、「明日は雨が降る天気ではありません」と解すれば、翌日がもし晴天に恵まれた日になれば、それはそれで予報的中ということになる。

しかし、最初の有料ボランティアは、私にはどうにも受け入れがたい。だいたい英語でいうvolunteerは、一般に、志願者、有志者、他人から強制されず、自発的に公共の業務に服する(というか、買って出る)人間と解され、語源はラテン語のVOLUNTAS (ウォルンタス、意思、意図、決心)からきている。

もちろん、人からやとわれて金銭のために働くのではなく、他人に強制されて作業や軍務などに服するのでもなく、自分自身で「これはどうしても私がやらなければならない」と考えて、ことにあたる人間、それが「ボランテイア」だ。仕事の対価めあてに、あるいはそれをもらって何かの作業にあたる人間をボランティアとは決していわない。

私には、こんなことばを英訳・仏訳できない(よほどの説明をクドクドと付け足さない限り)。

だって、白い黒板(ホワイトボードは、べつものだ)、真紅の白バラなど、あなたはイメージできるか。これを「形容矛盾」と呼ぶ。有料というコトバとボランティアというコトバを並べるのも、それとまったく同様のコトバの使用上のルール違反である。単なるアルバイトと呼ばなければ、こんな連中には通用しない。

NPO(non-profit organization、非営利団体)という組織が、いくつもある。 本来、米国で戦後さまざまな形態をとって生まれたもので、非政府、非営利をうたった、公共目的でのボランティア活動が主たる目的である。詳しいことは省くが、税制上の優遇措置・郵便料金の大幅な割引などが認められており、日本でも1995年の阪神淡路大震災以降、特定非営利活動促進法が作られ、NPO法人がいくつもできた。

米国でのNPO法人(いとも簡単にこの法人格が得られる)のことはよく知らない。日本のNPO各組織は、多くは公共的な目標を掲げ、諸方面からの寄付金、補助金、助成金をもとに活動を展開している。

そのほとんどは、まともな目的のために、利益などを考えずに営々と努力を重ねているが、 一部には諸団体からの寄付金を芳しからぬ用い方をしている怪しげなNPO法人もあると聞く。もし、このうわさが本当ならば、まともなNPO法人の面汚しとも呼ばれかねまい。

万一、そんな組織があれば、まさにニセモノNPOだろう。それが根拠のないうわさであってほしいと切に思う。

しかし、そんなことよりもっともっと許せないのは、そもそも公共的法人をうたいながら、アロマテラピーを、正確にいえばアロマテラピー団体会員としての資格を与えることを商売として、大金をせしめている協会が、毎年試験を受けさせ、受験料を人びとから集め、会員費をとって、さらにもうけていることである。そこで安月給で働かされている職員は、その団体が大きな金庫に何億もの大金を唸らせているのをちゃんと見ている。

会員費を毎年支払わないと、その団体で講習を受けて得た資格をエゲツなく奪い取る。英国のIFA(国際アロマセラピスト連盟)も同じことをやっていることを私はすでに確かめた。
日本でも英国でも、エゲツない人間にはこと欠かないとみえる。これも、私は一種のニセモノだと思う。こんな組織にアロマテラピー団体だなどと名乗ってほしくない。そもそも、そんな資格など、彼らにはない。

ルネ=モーリス・ガットフォセ、マルグリット・モーリー、ジャン・バルネ博士らが今日の英国・日本のアロマテラピー商売を見たら何というだろうか。私も遠からずあの世(とやらいうものがあれば)に行く身だが、このままでは彼らにあわせる顔がない。彼らに「お前は30年近く何をしていたのか」と罵倒されても返すコトバが見つからない。

精油もニセモノだらけ、最近のアロマテラピー関連図書も、その本のコトバを見れば、その著者のアロマテラピー理解がいかにも薄っぺらで、かぎりなくニセモノに近いものばかりだと一目でわかる。各精油販売会社で出している精油のびんをカラー写真で本に掲載することにどんな意味があるのか。私は安ものの金属に金メッキしたアクセサリーを眺めるような、はてしない虚無感に襲われてどうしようもない。ニセモノ、ニセモノ、ニセモノ・・・・・・

一度、ジャン・バルネ博士の本を、マリア・リズ=バルチン博士の書物(ほかにもいろいろある)などをじっくり読み直してほしい。○○協会会員なんて、私はアロマセラピストのニセモノであるといわんばかりの肩書きなど、なぜあなたに必要なのか。よく考えてみて頂きたい。

2013年7月9日火曜日

肯定することと否定すること

これは、香り・匂いの研究ばかりではなく、あらゆる現象の探究に通じることだが、一つのものごとを「これこれである」と、私たちが結論を出さなければならない場合がある。

そして、またその反対に、それは「これこれでない」と否定せねばならぬケースがある。

この、いずれが、よりむずかしいだろうか。

私は、このことを古代ギリシャ語・古代ギリシャ文学の大家であり、言語学者としても有名だった高津春繁(こうず・はるしげ)先生にギリシャ語・ギリシャ文学とともに、教えて頂いいた。

古代ギリシャ語は、ラテン語とちがって、完全な「死語」だ。ラテン語は、いわば「半死語」である。いまでも生物の学名などに使われるからである。

ラテン語は、ローマ帝国(厳密には西ローマ帝国)が滅んでからも、宗教や学問などの世界で、ほそぼそと生き続け、発音や文学なども少しずつ変化しながら、ごく一部の人びとに使われ続けた。

中世にはいると、教会ラテン語が俗世間の文字その他の影響をうけ、たとえば“ave”(正しい発音は、西暦前1世紀頃のラテン語発音と定められていた「アウェ」[こんにちは、いらっしゃい、ごきげんようといった意味]なのだが、これが中世の教会では「アヴェ」とと発音されるようになった。

賛美歌はみんな教会ラテン語で歌われた。だから、本来は、アウェマリアなのだが、シューベルトの「アヴェマリア」、グノーの「アヴェマリア」ということになった。

学者たちは、ラテン語で論文を書いた。べつに人に読み聞かせるものではないので、学者たちは、各自、勝手な発音で読んだ。文法と単語の綴りさえ正確なら、何も問題はなかった。

ニュートンの『Principia (プリンキピア)正しくは、「自然哲学の数学的原理」』は、絶対時間・絶対空間・質量・その媒質内の運動・流体運動、さらに有名な万有引力の法則に基づく、天体の運動の解説によるニュートン宇宙論を提唱した。これは、もちろんすべてラテン語で書かれた。

フランスの学者デカルトも、もとよりラテン語で論文を書いた。ギリシャ語で論文を書いた学者は、どうもいないようだ。

だから、当時のヨーロッパには翻訳家はいなかった。どの国でも学問も宗教も、ラテン語を自在に読み書きできるごく一部の特権階級のものだった。

さて、高津春繁先生は、ギリシャ語はラテン語と異なり完全な死語なので、各方言の差異、文法、ボキャブラリーが時代とともに変化した歴史をたどりやすいことなどを、わかりやすく解説された。
そして、しかじかの語法は、あるか、ないかを肯定するのが容易か、否定するほうがらくか、という問いを発された。

これは、考えてみれば、すべての学問に通じる問題でもある。私たち学生は考え込んだ。

高津先生は言われた。

「それはね。肯定するほうが容易なんですよ。ことギリシャ語のような死語に関してはとくにね。
なぜかと言えば、『ここに、その用例がある』ということを一件でも提示すれば、それが“肯定”ということになるからだ。
だが、このような語の用例が一件もないかどうかを、現存しているギリシャ語の全文献を一つも余さず綿密かつ丹念に読んで読んで読み抜いて、例外なしに、その『用例はない、存在しない』と言えなければ、否定したことにならないのですからね」。

古代ギリシャ語は、ざっというと、前8世紀から前6世紀のアルカイック期、前6世紀から前4世紀の古典期、そして前4世紀から後6世紀のヘレニズム期に分類される。前6世紀から前4世紀の古典期が、私たちがイメージしやすいギリシャ文明の典型的なかたちで、この時代の文献は、かなり豊富に残っている。

いずれにせよ、肯定するには一例ですむが、否定するには非常な困難が伴うものであり、決してらくなことではない、という真理を私はこのとき心に刻んだ。

アロマテラピーについて考えてみよう。ある精油が、これこれの肉体の異常に効く、といとも簡単に書いてある本が多い。たしかに1例でもそうしたケースがあるなら、それはウソではなかろう。

しかし、私たちは可能なかぎり、エビデンスに立脚してそれを確かめなければならない。それが本当でないと証明し、否定するのは容易でないからである。

ことに、英国人の肌質と日本人の肌質は異なる。たとえば、英国のアロマサロンでトリートメントをうけた女性は、キッチンタオルペーパーで体をぬぐうだけで、さっさと下着をつけてしまう。英国人女性の肌は、まるでティッシュペーパーか吸い取り紙(古い表現ですみません)などのように、キャリヤーオイルをさっと吸い込んでしまう。

だが、日本人女性の場合はトリートメントのあとシャワーと浴びて石けんで体表のキャリヤーオイルをすっかり洗い流してしまわないと、下着がつけられないと聞く。日本人むきのアロマテラピー技術を、よく考えなければならないゆえんだ。

私は、アロママッサージをしたあとは、少なくとも、日本人は1~2時間は体を冷やさないようにして、皮溝に残ったキャリヤーオイル中の精油分を皮膚に吸い取らせるのが理想的かと思う。
アロマセラピストをこころざす方に、このことを提案させて頂く。



2013年7月4日木曜日

精油はなぜ効果を発揮するのか

ジャン・バルネ博士の名著『ジャン・バルネ博士の植物芳香療法(AROMATHERAPIE : traitement des maladies par les essences de plantes』には、興味深いことがいろいろ記されている。

月経を正常化するには、バジル油、ラベンダー油、ペパーミント油、クラリセージ油、タイム油などを用いるとよい。私(筆者)は、これらをキャリヤーオイルに適宜入れて、腹部マッサージしてはどうかと考える。

乳房を大きくし、泌乳を促すのは、アニス油、フェンネル油、レモングラス油などで、これらは、毎朝、歯を磨くように乳房にすり込むことをおすすめしたい(筆者)

血圧を下げる精油は、ラベンダー油、マージョラム油である。また、料理でガーリックを摂取するのも良い。

血圧を上げる精油としては、ローズマリー油、タイム油、セージ油などがあるが、これらの精油は副腎に直接作用して、アドレナリンの放出を促す力があるためだ。

精油はなぜ効果を発揮するのか。そう尋ねられてあなたは即答できるか。

ジャン・バルネ博士はまず、ロシアの学者フィラトフによる「生原体の刺激」という理論をとりあげる。

それによると、生体組織(人間・動物あるいは植物)が体組織から切り離され、苦痛の(あるいは生命を維持するのに困難を覚えるような[筆者])条件下(冷たさ、乾燥、蒸留など)におかれると、それらが何とかして生き残ろうとして必死になって、一種の抵抗物質を産出する。これをビオスチムリン、あるいはフィトスチムリン(bio は「生命体」、phyto は「植物体」の意、stimuline は「刺激素」の意味[筆者])と呼ぶ。

このビオスチムリン(フィトスチムリン)がすべての精油に含まれている。これが欠陥を生じた体組織に入っていくと、衰弱した生命プロセスを活性化し、細胞の代謝能力を強化して、各種の生理的な機能を改善するのである。

このビオスチムリン効果は、精油の特定の成分が発揮するのではなく、各種成分(未知の精油成分を含めて[筆者])が、総合的に作用して、そのプロセスの結果をして、肉体の異常を正常化することが発見されるのである。

これこれの精油が、こういう病的状態に有効だとレシピのようなものをならべた本はいくらもある。また、その炭化水素化合物の薬理効果を列挙している本はいくらもある。

しかし、それらがビオスチムリン、あるいはフィトスチムリンという、テルペン類とかフェノール類とかケトン類とかといったものの、それぞれの効果を総合した上位概念を設定しなければ、精油の効果を真に理解することはできない。

したがって、精油なり超臨界流体二酸化炭素抽出物なりの個々の成分ばかりにとらわれるのは愚劣なことである。
そうではなく、含有される各成分の、またそれらの成分と人体組織との相互作用にこそ、精油・超臨界流体二酸化炭素抽出物の効果の秘密がある。
このことがわからないようでは、アロマテラピーについて一生涯、次元の低い理解しかもてまい。

よくよく考えてほしい。ここが、アロマテラピーの真髄なのだから。



精油などの成分崇拝主義について考える

前回、全体論・還元論についてお話した。

精油の成分分析結果というものは、分析手順や分析法、分析条件を確認した後に試験結果を考察して読み込み、結果(成分表)を理解する必要がある。

精油のびんに成分表が添付されていたからといって、どういう根拠でそれが信頼できると思うのか。それは、分析機関の名をはっきりさせているのか。分析法や細かな分析条件も明確なのか。
分析結果も読めないのに、それが間違いないとよくわかるものだとつくづく感心する。本来ならば、クロマトグラムやその結果(分析対象の成分(標準物質)の試験結果とセットにして示されたもの)を再検証するスキルが必要なのだが。

クロマトグラフによる分析は、成分の同定(化合物が何であるかを調べる)と定量(含有量を計る)するものである。
まず。同定すべき明確な濃度の標準成分検体のピーク保持時間(リテンションタイム)と、ピーク面積を計測する。
次に一定の濃度に調整した試験検体のクロマトグラムを計測する。そして、分析すべき成分の検出されるピーク保持時間から成分名を同定し、ピーク面積の大きさと調整した濃度と標準成分濃度から含有率を割出す。
そのような、方法で無数ともいえる成分ピークの同定と含有率の割出しが物理的にできるはずもない。費用も時間も労力もキリがないだろう。


精油は、含まれる諸成分が単独で独立した効果をそれぞれ単純に相加的に発揮するものではない。その成分構成も、年々歳々微妙に変化する(ワインのように年により香りの変化がある)。

ラベンダーを例にとってみよう。ラベンダー油の8割くらいは、リナリルアセテートとリナロールでできている。そこで、合成リナリルアセテートと合成リナロールとを合わせて、アロマテラピーに使用すれば、ずいぶん安上がりに合成精油ができる。

だが、これでは、まるきり効果がないのだ。

リナリルアセテートとリナロール以外のラベンダー油の成分は20年ぐらい前には、100種とか200種とかと海外で出版された本に記されていた。

その後の分析技術の発展により、ラベンダー油の成分は800種にまで跳ね上がった。もうすぐ1000種を突破することは間違いなかろう。

それらの成分はむろんのこと名もついていないものが大多数である。

そうした成分は、人間の体にさまざまに複雑にはたらきかけ、総合的に効果を発揮するのだ。

いま、わかっている成分を知っても、それですべてがわかるわけがない。私たち人間は永遠に真理にはたどりつけないのである。

個々の成分が、効果を発揮するものではない。
天然の精油であれば、主成分のほかの何千何万もの未知の成分が人体にデリケートに作用して、効果を発揮する。そのプロセスをこそ、ふかく究めなくてはならない。

つまり、ジャン・バルネ博士のいう「トータルな精油を信頼しよう」とのことばに、私は全面的に賛成する。

精油に含まれている成分をことごとく調べあげるのは、現在の技術をもってしては非常に困難で不可能に近いのだ。
現在、しかじかの精油が有効性を発揮するなら、その諸成分が、どのように人体に作用して、効果を示すのか。それは、容易に判るものではない。
判らないものに屁理屈などをつけてもしかたがない。

そこは研究に研究を重ねるしかない。判らないものは判らないと正直に認めよう。

天然の薬物(中医学の生薬を含めて)年々歳々、成分比率が微妙に変わる(ワインのように葡萄の収穫年により、味わいや香りの変化があるのと同様)。しかし、それでよいのだ。
天然薬物は、人体に入ると人体の異常に対して、崩れたバランスを元に戻す力がある。例えば、ある中医薬の生薬(紅花・川芎・丹参・乳香・没薬・血竭など)は高血圧にも低血圧にも作用し有効性を現わす。それが天然自然の薬物の特色であり、精油の特色も同様である。しかも、これらは正しく使う限り副作用もなく、習慣性も伴わない。

還元論と全体論とは、一見正反対だが、じつはコインの表裏といえる。つまり、天然であり、正しい方法をもって採油したものならば、同じ原料であっても年々歳々、成分比率が微妙に変化がある精油・アブソリュート、超臨界流体二酸化炭素抽出物(俗にいうCO2抽出物)が採れる。しかしながら基本的に作用特性は変わらない。精油などの特性は、単純に「成分+成分+成分 …+成分」という式で表せるものではないし、その必要もない。

ラベンダー油に限っても、あと1000年の間にどれほどの成分が発見されるかわからない。
精油などの揮発性の化合物が無数に集まったものは、そのもの全体で特性を発揮しているものであり、主要成分だけでは説明できない作用を持っている。無数の化合物が相互作用を起こしながら精油全体で作用し有効性も発揮しているのである。
あほらしい成分至上主義、成分崇拝主義は捨てよう。

ローマ時代のギリシャ人の名医、ディオスコリデスについてのジャン・バルネ博士のことばを紹介しておこう。

“私(ジャン・バルネ博士)は、アンリ・ポアンカレの
『説明できないから否定するほど非科学的なことはない』
 と、いう言葉を思いおこす。

ディオスコリデスを模倣しつづけよう。
ディオスコリデスは「医学におけるものごとは、その意味と結果によってのみ評価され、考察される」と考えて、腫瘍にたいしてイヌサフラン(コルチカム)を使い、それから19世紀のちの1934年のイヌサフランのアルカロイド、コルヒチンの発見を待たなかったのである。 ”


2013年7月3日水曜日

全体論と還元論とについて

英国のアロマテラピーの本を読んだり、アロマ理論家の話を聞いたりすると、「ホリスティックアロマテラピー」ということばに遭遇することがやたらに多い。

ロバート・ティスランドらの考えかたでは、アロマテラピーには三つのかたちがあるとする。
すなわち

①臨床的アロマテラピー

②エステティックアロマテラピー

③「ホリスティック」アロマテラピー

である。

臨床的アロマテラピーは 、医療のためにおこなわれるもので、もっぱらフランスで行われていると英国人は主張する(これには、私は異議があるが)。

エステティックアロマテラピーは、美容とリラクセーションとを目的として行われるもの。もっぱら精油類を体表で作用させて効果を発揮させる。

さて、ホリスティックアロマテラピーは、プロのセラピストが行うもので、クライアント個人個人の肉体・精神両面での異常を把握し、クライアントのライフスタイル、食生活、肉体的・情緒的な環境を考えてケアを行う、経験を積んだプロがほどこすもの。

以上は、もっぱらロバート・ティスランドらが唱えているアロマテラピーの内容である。

そして、ここで、彼らがいちばん売りものにしているのが、「ホリスティックアロマテラピー 」である。

ホリスティックは、ホーリズム(Wholism,Holism)すなわち「全体論」という哲学の形容詞。まず、この全体論について説明させて頂く。

これは、全体というものは、部分部分に、あるいはその基本的な要素に還元し分解することはできない、それ独自の原理をもつという哲学的立場で、この反対の考えかたあるいは立場は還元論(Reductionism)という。

還元論は、すべての事物を構成する下位構造をもつ単位を研究し、それを解明した結果を統合することにより事物の全体像をつかもうとする手法だと「ザックリ」いっておこう。

還元論に立脚する科学のおかげで、19世紀から20世紀、そして21世紀の今日にいたるまで、物を分子-原子-素粒子と分解して人間は物体の構成について知識を埋めてきた。今日、航空機が空を飛び、新幹線が時速350キロで突っ走り、都市のインフラが整備された。

いずれも、物事を細かく分けて、その範囲で精緻(せいち)な研究を行ってきたからだ。だから、science を「分科の学、すなわち科学」と訳したのは、よくこのことを知った人間の名訳語である。

しかし、では、生命現象は原子なり素粒子なりの運動として万事片付けられるだろうか。「個人の心理を合計したもの」と「群集心理」とが違うことは誰にも わかるだろう。

言語の世界だって、「彼は……」なんていっても書いても、意味をなさない。そのセンテンスを組み込んでいるコンテクスト、つまり、全体のなかではじめて意味をもつものとなり、その「彼」がナポレオンなのか、ボルコンスキーなのかが判然としてくる。

今日、全体論哲学は、とくに生命現象をめぐって、それが単純な物理・化学の法則で説明できないとしてふたたび脚光を浴びるようになった。

全体論者は還元論者を「木を見て森を見ない」と非難する。確かにそういわれてもしかたがない専門屋がいることはまちがいない。

言語に関心を寄せる私も、たとえば「緑」色ということばだって、プリズムで陽光を7色に分光して赤・橙・黄・緑・青・藍・紫 として、その全体のなかで色とその名とが相対的に決定されることを知っている。

そうすると、還元論者は「全体論者は森を見て木を見ない」と非難するのだろうか。

しかし、私にいわせれば、こんな二分的な論法は、ことばのゲームにすぎないような気がする。

有名な還元論者として、17世紀フランスの哲学者・数学者デカルトがいる。

ガリレイ→デカルト→ニュートンという近代科学の流れをつくった大人物である。

でも、デカルトは下位要素に分解して、それぞれを完全に理解したあと、それぞれの要素を完璧に復元させることを説いた(一種の思考実験的なものだ)。そのことは全体論者は無知からか、故意だか触れようとしない。

ところで、私は数年前、ひじに大怪我をして、救急車で病院に運ばれ、何人もの医師に囲まれて大手術をした。全身麻酔だったから、どのくらいの時間を要したのかわからない。しかし、その手術のあと、私は考えた。

私のひじの手術をし、神経の縫合をした医師(そばには、専門の麻酔医がついていた)は、ひじのこと、神経のことだけを考えて施術したのだろうか、と。そんなことがあろうはずもない。心臓のことも、肺臓のことも、動脈、その他あらゆる必要事項を勘案しつつメスをふるったに相違ない。

つまり「木を見て森を見ない」医師もいなければ、「森ばかり見て木を見ない」医師も存在しないのだ。また、木を知らずに森がわかる人間もいないし、それが森を構成することを知らない人間も現実には存在しない。

ホリスティックなどというご大層な名をつけた英国のアロマセラピストたちは、せいぜい心身は一体のものだから、それらを総合的に考えてアロマテラピーを施すべきであり、それは「アタシたちプロのセラピストに任せて、お金を払いなさい」とでもいった、浅薄かつ安直な考えから「ホリスティックアロマセラピー」などと、偉そうな名をつけただけなのだ。商売上のイメージ戦略である。

「ホーリズム」について、ピーター・メダワーという学者は、ホーリズムが「還元主義は有機体各部分を『分離して』研究しているなどというが、そんな芸当はできっこない」といい、哲学者カール・ポパーは、この考え方が社会科学にもちこまれると、国家権力を増大させることになり、全体主義(Totalitalianism)というコトバが表す概念と同じになってしまうと憂慮した。

そんな背景も考えず(いや、知らずというべきだろう)、ホリスティックなどということばを使って、ものを知らない人間たちが「私たちのアロマテラピーは、超ハイクラスのものですよ」と宣伝するのは、極めていかがわしい行為だ。ロバート・ティスランドらの「ホリスティックアロマテラピー」の人気が英国で落ち目の三度笠なのも当然といえよう。英国人も占星術だのミステリーサークルだのにこだわりつづけるバカばかりではないのだ。

イメージ戦略も、悪いと私は言っているわけではない。ときと場合によってはきわどい表現もある程度許されるだろう。けれども、たとえば、ホーリズムの本質、リダクショニズムの本質を知らずして、まるでパロディーのようにそれらのことばづらだけを利用するのは、私のもっとも嫌悪するところだ。

日本の化粧品・家庭用品のメーカーにも言っておく。「アロマの香り」などというメチャクチャなことばで人をいつまでもダマセるものではない、と。