2013年8月1日木曜日

閑話休題

月日のたつのは速いもので、私の著書『誰も言わなかった、アロマテラピーの《本質:エッセンス》』が出て、すぐ発売停止処分になって3ヶ月近くになった。

私の本をAmazonと楽天とで買ってくださった方がたの大半は、私の所論に「痛快だった」「爽快だった」といったことばとともに、双手をあげて賛成してくださった。

まず、マトモな人間なら、当然そうあるべきである。ごくごく一部のバカどもと覚(おぼ)しい、IQの低い奴らが、この私にたいする尊敬の念が失せたとかなんとか言っていたが、私としては願ったり叶ったりだ。

バカ、ヤクザ、ゴロツキ、横っちょからよけいな口を出す利口ぶった奴らに尊敬などされるのは、迷惑千万だからだ。

私 の好きな明治人、欠点だらけかも知れないが、親しみを感じないではいられない明治の男の一人に、ジャーナリスト、黒岩涙香(くろいわ・るいこう)がいる。 『巌窟王』、『噫無情』、『白髪鬼』などの翻案者としても有名な、私が中学生ごろからの大ファンになっている明治の人物である。

涙香は『万朝報(よろずちょうほう』という政府高官のスキャンダルをあばくことを売り物にした新聞を1892年に創刊し、大いに人気を博した。社員に幸徳秋水、内村鑑三、堺利彦がいて、健筆をふるったことも有名な話だ。

その黒岩涙香の一文に接し、胸に迫るものがあったのでご紹介したい。

「……凡(およ)そ新聞紙として、我が萬朝報の如く批評さるるものは稀なり。而してその批評の多くは悪評なり。曰く毒筆、曰く嫉妬、曰く脅迫、曰く某々機関。若(も)し萬朝報を悪徳の新聞とせば、萬朝報は以後も斯くの如き悪徳を貫きて止まざるべし。
萬朝報は戰はんが爲(ため)に生まれたり。
萬朝報は何の爲に戰はんと欲するか。吾人自(みずか)ら敢(あ)えて義の爲と言ふが如き崇高の資格あるに非(あら)ず。然れども斷(だん)じて利の爲には非ざる也(なり)。

萬朝報が人身を攻撃する事有るも、未(いま)だ悪を責む、悪を除く以外の心を以(もっ)て人を責めたる事無し。有體(ありてい)に言ふ。萬朝報は悪人に對(たい)しては極端に無慈悲也。悪の改むべからざるまでに團結(だんけつ)したるものと見(み)ば、ただこれを誅戮(ちゅうりく)するを知りて宥(ゆる)すを知らず。特に權門(けんもん)の醜聞に於いて、吾人は露程も雅量なし。

我が手に斧鉞(ふえつ)あり。我が眼に王侯無し。況(いわん)や大臣に於いてをや。」
涙香は、一度ネタに食いついたら離さないというところから、「蝮(まむし)の周六」とあだなされた。
周六は涙香の本名である。

 昔日の遊郭における幇間(ほうかん[たいこもち])のように人の機嫌をとるのはラクである。しかし、マムシの周六ほど、いわゆる権門の輩(ともがら)に憎まれるのは、難しかろう。

私はべつにジャーナリストでもなく、人が自分の金を女道楽に使っても、べつにどうとも思わない。ただし、その金が人民から搾りとった膏血だったら話はべつだ。そのときは、涙香を師と仰ごう。

私が何十年も訳業に明け暮れていたときは、原著者のいわんとするところを過不足なく、品のよい口調で、原著者の言語にふさわしいことばを選んで表現することに腐心した。

だ が、おのれのことばで、自分の考えを文字にするとなれば、自分を偽ることなくさらけだして何が悪い。むしろ、それは私はおのれの義務と考える。「ことばが キツすぎる、ロコツすぎる、そこまでいわなくても云々……」。ふふふ、悪うござんしたねえ。でもね、あっしはもともと、隠しだてはきらいなんでござんす よ。そのおつもりでいておくんなせえやし。

マムシの周六先生には及びもつかねえ、しがねえ野郎でござんすがね。周六先生のマネゴトぐらいは、させてやっておくんなせえ。

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