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2013年8月6日火曜日

Der Lindenbaum(リンデンバウムの歌)

Der Lindenbaum(リンデンバウム)の歌

(ドイツの詩人、ヴィルヘルム・ミュラーの『冬の旅[Winterreise]』 と題する連作詩の一つ。シューベルトがこれに1827年に作曲し[全24曲]、失恋した青年のあてどもない冬の放浪の旅と、その荒涼たる心象風景を描き、詩と音楽、歌とピアノの伴奏とがみごとな一体になった表現で、ドイツ歌曲[リート]の頂点の一つになっているもの。日本でもかなり以前から『菩提樹(ぼだいじゅ)』の訳題で、ドイツ民謡のひとつとしてひろく親しまれてきた)


Am Brunnen vor dem Tore, 市外の門の噴水のそばに
Da steht ein Lindenbaum: リンデンバウムが一本立っている。
Ich träumt’ in seinem Schatten 私はその木陰でたくさんの
So manchen süßen Traum. 甘い夢をみたものだった。

Ich schnitt in seine Rinde 僕は、かずかずの愛のことばを
So manches liebe Wort; その木の皮に彫ったものだった。
Es zog in Freud und Leide 嬉しいとき、悲しいとき、
Zu ihm mich immer fort. いつも、ひとりでに足がそこにむかった。

Ich mußt’ auch heute wandern 今日は、真夜中に木のそばを
Vorbei in tiefer Nacht, 通らなければならなかった。
Da hab’ich noch im Dunkel それで、暗闇の中だというのに
Die Augen zugemacht. 目をひたと閉じてしまった。

Und seine Zweige rauschten, すると、枝々がざわめいて
Als tiefen sie mir zu: 僕に呼びかけるような感じがした。
Komm her zu mir, Geselle, 「私のところへおいで、若者よ、
Hier findst Du Deine Ruh’! ここがお前の憩いの場なのだ!」

Die kalten Winde bliesen 冷たい風がまっ正面から
Mir grad in’s Angesicht; 僕の顔に吹きつけた。
Der Hut flog mir vom Kopfe, 帽子が頭から飛んでいった。
Ich wendete mich nicht. でも、僕はふりむきもしなかった。

Nun bin ich manche Stunde いま僕は、あの場所から
Entfernt vom jenem Ort, 何時間も離れたところにいる。
Und immer höt ich’s rauschen: しかし枝のざわめきがいつまでも耳から離れない。
Du fändest Ruhe dort! 「ここがお前の憩いの場なのだ!」

私は日比谷高校時代、音楽の時間に教師からドイツ語を教わり、シューベルトの『冬の旅』やシューマンの『詩人の恋』(詩はハイネによる)などを、原語で一人一人きっちり歌わせられた。

暗くて重い感じの曲ばかりで成る『Winterreise(冬の旅)』24曲のなかでは、比較的明るい曲調に入るものだが、ホ長調、四分の三拍子で、第2節が短調となり、第3節では旋律が大幅に崩される変奏有節形式で、やはり暗さが感じられる。しかし、これはシューベルトの歌曲のなかでも、もっとも有名なものであろう。

日本でもかなり昔から近藤朔風の名訳詩によって、人びとにひろく親しまれた。たぶん、日本語の高低アクセントをあまりむりなくメロディーに合わせたためかと思う。

しかし、「風が吹いて帽子が飛んでいったが、ふりむきもしなかった」のところが「笠は飛べども捨てて急ぎぬ」となっているのは、なんだか広重の東海道五十三次の宿場の図を思わせて、何となくおかしい。 

この『冬の旅』は、1827年、すなわちシューベルトの死の前年に作られたものだ。彼はチフスのせいで翌年31歳で夭折(ようせつ)している。

一夜、友人たちと夕べをすごしたシューベルトは、「これから、諸君に恐ろしい歌を聞かせる」と前置きして、この冬の旅をみずからピアノ演奏して歌い、友人たちに初披露した。

一同は、その各曲の内容のあまりの暗さに惨として声なく暗澹たる気持ちのままで、シューベルトの家をあとにしたという。

西洋音楽史上、燦(さん)として残るこの歌曲を作曲者みずから歌い、伴奏するのを己の耳で聞く、まさにこの上ない「特権的なとき、至福のとき」だったのに。……

ところで、この曲に登場する樹木Lindenbaumは「菩提樹」と訳されてきたが、これは正しくない。

リンデンバウムは、セイヨウシナノキ(Tilia cordata[コバノシナノキ・別名フユボダイジュ])と、T.platyphyllos[ナツボダイジュ]との交雑種)で、英名はlinden[リンデン]、lime[ライム](この名はカンキツ類のライムとまちがえやすいので要注意)、フランス語ではtilleul[ティユル]という。

菩提樹は、釈尊がその下で悟りを開いたとされる木、無憂樹は釈尊が生まれた近くに生えていた木といわれ、また沙羅双樹は、その下で釈尊が入滅したという木で、これが仏教の三大聖樹である。このボダイジュは、リンデンバウムとは全く関係ないクワ科イチジク属の樹木(Ficus religiosa)である。インドボダイジュ、テンジクボダイジュとも称する。

英語では、bo-dhi-treeという。このbo-dhiは、サンスクリット語。中国語で菩提と表記する言葉を写したもの。ちなみに英語のbodyも同じ語源に由来している。


日本特産のシナノキ(Tilia japonica)は、アオイ科シナノキ属で、これもリンデンバウムとはかなり植物学的に離れた存在である。

リンデンバウムは、中世以来、男女の愛を結ぶ木とされ、中世ヨーロッパの恋愛詩、ミンネザングでは、この木とその梢で歌う可愛い小鳥たちは、恋愛に欠かせぬ点景となった。

リンデンバウムは人びとに愛され、道路の並木にされ(ベルリンのウンター・デン・リンデンの大通りを想起されたい)、人名でもリンダ、リンドバーグ、リンネなどはすべてここから来ている。

リンデンバウムの葉を生のまま、あるいは干したものをひとにぎり、1リットルのお湯に入れて、15分くらい煎じたものを1回に2~3回に分けて飲用すると、夜ぐっすりと眠れ、動脈硬化、心筋梗塞、狭心症の予防に効果がある。日本でもハーブショップなどで市販されている。

リンデンバウムの花は、はちみつの蜜源としても有名である。

 

2013年6月15日土曜日

女の香りの詩

Les cheveux(髪の毛)

Remy de GOURMONT (1858-1915) ルミ・ドゥ・グールモン

豊かな知識と、さまざまな趣味の持ち主で、フランス象徴主義文芸の推進者の一人、 ルミ・ドゥ・グールモンは、哲学・思想・文学に関する評論で有名な人物(1858~1915)。
詩人としても、新鮮な感性と官能性に裏打ちされた作品を残した。

この詩は、男からみた女の魅力の一面を鮮烈に描きだした、私にとって忘れられないフランス詩のひとつである。

***

Simone, il y a un grand mystère
Dans la forêt de tes cheveux.
(シモーヌよ、君の髪の毛の森のなかには
大きな謎が隠れている)

Tu sens le foin, tu sens la pierre
Où des bêtes se sont posées ;
(君は干し草の匂い、けものが身を置いたあとの
石の匂いがする)

Tu sens le cuir, tu sens le blé,
Quand il vient d'être vanné ;
(君は革の匂い、箕(み)でよりわけられたばかりの
小麦の匂いがする)

Tu sens le bois, tu sens le pain
Qu'on apporte le matin ;
(君は林の匂い、朝に運ばれてくる
パンの匂いがする)

Tu sens les fleurs qui ont poussé
Le long d'un mur abandonné ;
(君は打ち捨てられた壁に沿って
生えだした花々の匂いがする)

Tu sens la ronce, tu sens le lierre
Qui a été lavé par la pluie ;
(君は木苺の匂い、雨に洗われた
きづたの匂いがする)

Tu sens le jonc et la fougère
Qu'on fauche à la tombée de la nuit ;
(君は日の暮れ方に鎌でかられる
燈心草と羊歯[シダ]の匂いがする)

Tu sens la ronce, tu sens la mousse,
(君は柊[ヒイラギ]の匂い、苔の匂いがする)

Tu sens l'herbe mourante et rousse
(君は生垣のかげで次々と実を落とす)

Qui s'égrène à l'ombre des haies ;
(赤茶色に枯れかけた雑草の匂いがする)

Tu sens l'ortie et le genêt,
(君は蕁麻[イラクサ]とえにしだの匂いがする)

Tu sens le trèfle, tu sens le lait ;
(君はクローバーの匂い、ミルクの匂いがする)

Tu sens le fenouil et l'anis ;
(君は茴香[ウイキョウ、フェンネル]とアニスの匂いがする

Tu sens les noix, tu sens les fruits
Qui sont bien mûrs et que l'on cueille ;
(君はくるみの匂い、
熟れきって摘み取られる果物の匂いがする)

Tu sens le saule et le tilleul
Quand ils ont des fleurs plein les feuilles ;
(君は葉むら一杯に花をつけたときの柳と菩提樹の匂いがする)

Tu sens le miel, tu sens la vie
Qui se promène dans les prairies ;
(君は蜜の匂い、牧場の草原をさまよい歩くいのちの匂いがする)

Tu sens la terre et la rivière ;
(君は土と川の匂いがする)

Tu sens l'amour, tu sens le feu.
(君は愛の匂い、火の匂いがする)

Simone, il y a un grand mystère
(シモーヌよ、君の髪の毛の森のなかには、

Dans la forêt de tes cheveux.
大きな謎が隠れている)

***

そう、男性は女性の発する匂いには極めて敏感なのだ。安物の香水や、安っぽい香料などで香りづけしたヘア用品などとは即刻縁を切られたい。

それらはすべて、あなたの生来のセクシーで魅力的な匂いを消し、彼のあなたへの愛を徐々に殺していく恐ろしい敵なのだから。

2013年6月11日火曜日

花の香りを連想させる詩③

Les Roses de Saadi サーディーの薔薇

MARCELINE DESBORDES-VALMORE(マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール)

題名の「サーディー」というのは、13世紀のイスラム教世界(ペルシャ)の大詩人で、野蛮なヨーロッパでも有名になった人物。

この詩は18~19世紀のフランスの女流詩人、デボルド・ヴァルモールが、このペルシャの大詩人の詩集の序文に想いを得て書いたもの。

デボルド・ヴァルモールは、歌手、女優として、一生を赤貧と人生苦とのうちにすごした。
しかし、その作品の深い感情と韻律の美しさは、後世の詩人たちを心から感動させた。


J'ai voulu ce matin te rapporter des roses
(けさ、あなたに薔薇をお届けしようと思い立ちました)

Mais j'en avais tant pris dans mes ceintures closes
(けれども、結んだ帯に摘んだ花をあまりたくさん挟んだため)

Que les nœuds trop serrés n'ont pu les contenir
(結び目は張り詰め、もう支えきれなくなりました)

Les nœuds ont éclaté. Les roses envolées
(結び目は、はじけました。薔薇は風に舞い散り)

Dans le vent, à la mer s'en sont toutes allées.
(ひとつ残らず、海に向かって飛び去りました)

Elles sont suivi l'eau pour ne plus revenir
(潮のまにまに運ばれて、はや二度と帰っては参りません)


La vague en a paru rouge et comme enflammée
(波は花々で赤く、燃え立つように見えました)

Ce soir, ma robe encore en est toute embaumée...
(今宵もまだ、私の服はその薔薇の香りに満ちています)

Respires-en sur moi l'odorant souvenir
(吸って下さい、私の身から、その花々の芳しいなごりを)

(入江康夫氏訳)


なんという美しい名だろう。マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール。
そして、行間から香りが匂い立つかと疑われる、美しいバラとその芳香とのイメージ。

私は学生のころ、フランスの名詩を美しく朗唱することに同級生たちと夢中で打ち込んだことを懐かしく思い出す。

ボードレール、ヴェルレーヌ、そしてとりわけこの、 デボルド=ヴァルモールの詩を。
女性ならではの官能性に満ちたこの陶酔させる詩を。

花の香りを連想させる詩②

前回の杜牧(とぼく)と同じ晩唐9世紀の詩人、高駢(こうべん)の『山亭夏日(さんていかじつ)』も、私の好きな詩だ。夏の山荘における暑さのなかで、バラの香りとともに、一抹の清涼感を覚えたときのこと。

緑樹陰濃 夏日長 りょくじゅ かげこまやかにして かじつながし
楼台倒影 入池塘 ろうだい かげをさかしまにして ちとうにいる
水晶簾動 微風起 すいしょうれんうごいて びふうおこる
一架薔薇 満院香 いっかのしょうび まんいん かんばし

《通釈》
緑の樹は、陰もこまやかにこんもり茂り
夏の一日はのんびり長い

山荘の建物は影をさかさまにして
静かな池の水面に映っている

水晶をはめたすだれがすこし動いて
少しそよ風があるようだ

その微風で棚いっぱいにおいたバラの香りが
庭中にさわやかに満ち満ちた・・・

「一架の薔薇」は「満架の薔薇」と同じ。
「一」と「満」が同じというのは変かもしれないが、「一面の菜の花」「満面の笑み」ということを想起して頂きたい。

楼台(ろうだい)は、高殿の意味。この詩は「七言絶句(しちごんぜっく)」という形式で詠まれたもので、言外に山の静けさがうかがわれ、詩人が思わずバラの香りに酔うさまを思い浮かばせる。
この詩人はその後、悲劇的な最期を迎えるのだが、未来のことが判らないところに人間の幸せがあるのだろう。

次回は、趣を変えてフランスの香りの詩をご紹介したい。

2013年6月10日月曜日

花の香りを連想させる詩①

花の香りを連想させる詩①

アロマテラピーの世界の問題を云々するよりも、花の香りを詩の世界で嗅ぎたくなった。
9世紀晩唐の詩人、杜牧(とぼく)の詩からはじめよう。


清明時節 雨紛紛(せいめいのじせつ あめふんぷん)
路上行人 欲断魂(ろじょうのこうじん こんをたたんとす)

借問酒家 何処有(しゃもんす しゅかいずこにかある)
牧童遥指 杏花村(ぼくどうはるかにさす きょうかのそん)

《通釈》
清明(四月)の頃に、雨はしとしと降る
旅路を行く私はひとり、春の愁いに耐えられぬ思いに包まれる
なあ、聞くが、酒屋はどこにあるのかい
そう家畜を追う少年に尋ねると、少年は黙ったまま、
 遥か遠くの杏の花に包まれた村を指した

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(高山)
人生の行路を、ひとりそぼ降る雨のもとを歩む私も、杏の花の香りに包まれながら、一杯やりたくなっちゃった。