2013年5月31日金曜日

セラピストの健康について

アロマテラピーの「トリートメント」を受けて、心身を「リラックス」させようとする人びとがふえてきたと聞く。
これを「リラクセーション」という。

断じて「リラクゼーション」 ではない

綴り     relaxation
発音    rìːlækɪʃən




トリートメントをしてもらう人は、多くて1週間に1回、少なくとも一か月に1回ということらしい。ここで気になるのは、セラピストの方がたの健康だ。

セラピストは1日に5~6人の相手をする。トリートメントに1時間かけたら、かならずトリートメントルームの空気を完全に入れ換え、セラピストは外にでて、肺をフレッシュな空気で満たさなくてはいけない。

この際、質の悪い精油、ごく少量の本物の精油を、ものすごく多量の合成香料で水増ししてある偽和された悪質な安物精油(市販の精油の大半はこれだ!)を使ったりすることは、絶対にやめること。そのような質の悪い精油を使うとセラピスト自身の健康を害したり命を縮めたりすることにもなりかねない。
例えば、ラベンダー油を成分定量(GC/MS;ガスクロマトグラフィー/マススペクトロメトリーなど)で一定の規格に合う品質に調整するために合成香料のリナロールやリナリルアセテートが偽和剤として加えられる。

「超臨界流体二酸化炭素抽出の天然香料」を、従来の精油に変えて用いることがよいと思う。
これは、熱による変性や溶剤による化合のリスクが無く、香料植物そのものの香りが楽しめる。
稀釈して、植物本来の香りを楽しむのに非常に有用な新しいものだと考えられる。
ただし、リナリルアセテート(酢酸リナリル)のように、水蒸気蒸留中に生成される成分の薬理効果を期待する際には、CO2抽出物は向かない。

2013年5月30日木曜日

モーリー夫人

1895年にオーストリアのウィーンに生まれ、1968年にロンドンで、愛弟子、ダニエル・ライマンにみとられて脳卒中で死去したマルグリット・モーリー。彼女は、夫のホメオパシー医、モーリーの影響をうけ、また20世紀前半当時の芸術的な時代思潮の影響のもと、「クライアントを陶酔させる」ことをめざす(なんとなく魔術的ムードがある)独自のアロマテラピーを構築し、これを静かに、あたかも「秘教(エゾテリズム)」を弘布するように人々にひっそりとこれを教え、施術した。こんなところに、藤田忠男博士などが「ウサン臭さ」をお感じになるのかも知れない。

これが、大戦後にロンドンから次第にひろまっていった「アロマラピー」の中心的なテクニックの地位を占めることになる。しかし、その手柄を横取りするように、突如として人びとの前に現れたジャン・バルネ博士の著作などをネタにThe Art of Aromatherapy をものした(藤田忠男博士は「ありゃ、何人かでかいたもんですよ」といっておられる)ロバート・ティスランドなるヒッピーあがりの男が人々の注目をマルグリットをおしのけて一身に浴びるようになった。

これに、モーリー夫人の弟子たち(ダニエル・ライマン、シャーリー・プライス、ミシュリーヌ・アルシエら)は大あわてで国際アロマセラピスト連盟(IFA)をつくって対抗した。(り)

続 ジャン・バルネ博士のこと①

ジャン・バルネ博士は、1920年に生まれ、95年に他界した。

陸軍幼年学校から陸軍の衛生学校、リヨン大学医学部で医学を修め、45年に医学博士の学位を取得した。博士は42年の対独抗戦中から数少ないフランス兵の一員として、いわば、ゲリラの衛生兵として活動を続けた。
この第二次大戦中からジャン・バルネ(まだ博士号を取得していなかった)がアロマテラピーを実践していたかのような嘘八百を言いふらすバカの言葉を信じてはいけない。当時はゲリラなどというスペイン系の言葉は使われず、パルティザン(男性の場合)、パルティザーヌ(女性の場合)と言っていた。

フランスは、第二次大戦後、戦勝国の仲間入りをし(サルトルはこれを言おうようもなき「奇妙な勝利」と感じた)国家として日本軍国主義、ドイツナチズム、イタリアファシズムの打倒に何一つ貢献もしなかったにもかかわらず、枢軸側のような国が二度と出ぬように国連が組織され、枢軸側を倒すのに屍山血河の貢献をした末、ソ米英中各国が特別に拒否権を持つ常任理事国として特別な地位についた。当然である。ここに何のかんばせあってフランスがもぐりこんでいき、大きなつらをしているのか。しかも米露なみに拒否権まで手にして。
抵抗運動を必死で続けたフランス共産党員たち(ドイツ兵は捕らえた人間が共産党員とわかると即座に射殺した。その人数は7万にも及んだ)、各国の連合軍に加わって戦ったフランス兵たち、マキ団そのほかのレジスタンス運動があったからこそ、フランスは一応の面目が保てたのだ。

軍人のくせにこそこそ英国に亡命したシャルル・ド・ゴールなど、ペタン同様に戦犯に等しい存在だ。
バルネ博士は、それをどう考えただろうか。

2013年5月29日水曜日

ジャン・バルネ博士のこと

知る人は少ないけれど、ジャン・バルネ博士のアロマテラピーの特徴は、それをパクッた英国のロバート・ティスランドなどのそれと違い、このテラピーを「アトミックな植物療法」と呼び、植物療法の一つと完全に割り切っている点。なにか特別な「魔術的」空気を使う英国アロマテラピーとは、本質的に異なる「科学を逸脱しない」療法であることが、その名著『バルネ博士の植物芳香療法』を読めばすぐわかる。
つまり、博士にあっては植物療法=薬草療法+アロマテラピー(アトミックな植物療法)ということ。現代のアロマテラピーの出発点は、1937年のガットフォセの本というより、64年に初版が刊行されたバルネ博士のこの書物だ。これに注目していたらアロマテラピーと植物療法とは二にして一であることがわかっていたはずで、この原点に今こそ博士とともに帰るべきなのだ!(り)

バッチ続く

バッチフラワーレメディーズについて、私がこんなものとアロマテラピーとを結び付けるな、といったことが、こんな怪しげなシロモノを売って商売をしている方がたをよほど怒らせたようだ。

バッチのフラワーレメディーズは、植物の(フラワーというのは誇大だ。38種のレメディーのうち、本当に花を使用しているのは半分程度)エネルギーを水に転写したもので、レメディーは人間の心の働き、体に作用してその異常を治すという。私は英国のバッチセンターで、「そんなレメディーズを開発なさって、バッチ博士が50歳そこそこでなくなったのはどうしてですか。博士はそんな特効薬を自分では用いなかったのですか」と尋ねた。センターの人間は、おそるべき詭弁で答えた。「バッチ博士は30歳で死ぬ筈だった。それが、レメディーズの力で50歳まで生きたのだから、大変な長生き人間だ」と。私は唖然としましたよ。これでは「早死に」「若死に」なんて言葉はなくなるね。(り)

バッチ花療法(バッチフラワーレメディーズ)

バッチフラワーレメディーズの「ロックウォーター」とはいったい何だ? 
井戸水・湧水とぜんたいどこがちがうのか? それを説明してくれ、といったところ、じゃあ相談料をよこせという。ものすごく高い。私は、さっそく消費者庁に通報した。「こんな商品の売りかたが許されるのか」と。同庁はじっくり調べて適切な手段を講じると答えた。きっと、バッチ博士という人物も結局、そんな金銭欲のかたまりだったのだろう。

でなければ、こんな商売人がぞくぞく生まれてくるわけがない。私は、この療法(?)が非科学的だからといって、そこをとくに批難するつもりはべつにない。この世にはまだ科学で割り切れぬものはたくさんあるからだ。
ただ、気分が沈んだり、体調が悪くて悩んだりしている人の気持ちをわかってやろうとする最低限の思いやりの心をもたぬ輩が、金儲けしか頭にない連中が、アロマテラピーを含めて「自然療法」で大金を儲けてやろうとしている姿を見るのが、たまらなく悔しいのだ。(り)

2013年5月27日月曜日

みねいアロマ音楽メディケアのこと

沖縄で坂元健吾さんや新城晋一郎さんたちが展開している「医療事業」である「みねいアロマ音楽メディケア」が、フランスの現代アロマテラピーの大家、あるいは中興の祖、ジャン・バルネ博士の医療思想に共鳴し、その著書の内容にインスパイアされて、それをTV・ラジオの音楽・トーク番組化しているとか。
坂元さん・新城さんと連絡をとると、電話口からさっそく南国の風が流れてきました(少々オーバー)。

そんなことが企てられているとは知らなかった。じゃ、おいおいジャン・バルネ博士と、その独特のアロマテラピーをご紹介しましょう。(り)