2013年6月6日木曜日

マルグリット・モーリーのこと

この女性を誤解している人は多い。

マルグリット・モーリーは、ルネ=モーリス・ガットフォセの弟子だったなどという人間がいるが、この2人は師弟関係をもったことはおろか、一度も会ったことがない。
マルグリットの再婚相手のモーリーは、生涯、彼女を愛し、崇拝して、マルグリットを陰で支え続けた。

マルグリットは、芸術マニアの父の血を引いていたのか、芸術的感覚に富んでいて、1937年に刊行されたガットフォセのAROMATHERAPIEを熟読し、独自の芸術的感覚と夫モーリーから受けたホメオパシーの知識とともに、マルグリット独自のアロマテラピー理論を構築した。

彼女のエステティシャンとしての豊かな経験もそのベースになった。そして、20世紀初頭からヨーロッパの芸術家たちの支配的思潮だった「芸術の目的は、人を陶酔させることにある」という理念を、エステティックの世界で活かそうと考えた。精油をキャリアーオイルで稀釈して、これをクライアントにマッサージして、クライアントをエクスタシーの境地に誘うというのも、この考えに立ったものだ。

しかし、精油をごく薄くして用いる点には、明らかにホメオパシーを感じる。これがのちの英国のアロマセラピーの中心的な技術となった。

マルグリット・モーリーが、ジャン・バルネ博士の弟子だなどという輩がいるが、バルネは、彼女の名も存在も全く知らなかった。どこからこんな話がでたものか。

私としては、ガットフォセのアロマテラピーは、調香師的アロマテラピー、マルグリットは、エステティックアロマテラピー、バルネは医学的アロマテラピー(この名は誤解を呼びそうだが)とするのがよいと思う。

「ホリスティック」アロマテラピーなどという名称は、ただ英国アロマセラピーの権威付けのために考案されたにすぎないネーミングだ。

2013年6月5日水曜日

英国におけるアロマテラピーの歴史④ ロバート・ティスランド

ロバート・ティスランドが、マルグリット・モーリーのホメオパシー傾向を取り入れたのは、英国で(また20世紀初頭の米国でも)ホメオパシーがバカうけした例があったためだと思う。英国の王室でも、この療法を採用したと言われている。真偽のほどは定かではないが。
つまりホメオパシーファンが多い英国の土壌を利用したわけだ。
バッチのフラワーレメディーズなるものも、ホメオパシーから分岐したものである。

バッチ療法の本を読むと、このブランデーを15度くらいに水割りした液体中の薬効成分は霊妙なもので、アロマテラピー用精油のすぐそばにフラワーレメディーズを置くことは厳禁とある。そのデリケートな成分が、精油の強い芳香で分解してしまうためだという。

しかしロンドンでこの種の薬剤を売っている大手の「ネルソン」という店をはじめ、そうした専門店を5~6店回ってみたが、どこでも平気でバッチのレメディーズとアロマテラピー用の精油とを並べて売っていた。そばにホメオパシー薬剤もおいてある。

こうした店は「専門店」なんだろうから、私が読んだ本から得た初歩的な知識など知らぬはずはない。と、いうことはこうした店自身、バッチフラワーレメディーズの効力など頭から信じていないのだろう。これを論より証拠というのだ。でも、ロバートはバッチ博士の見解も、著書The Art of Aromatherapy のいたるところで援用している。博士がアロマテラピーに何かと都合の良いセリフをはいてくれているためである。

だから、繰り返すが、ロバート・ティスランド(ブレーンが何人もいるらしいが)が説くアロマテラピーは、科学的なものと非科学的なものとの「ごった煮」的テラピーといって差し支えない療法である。いま英国でのロバートのアロマテラピー事業の人気は落ち目の三度笠と聞く。
一貫した、恒久的説得力をもつ論理など、ヒッピーあがりにはブレーンを使っても所詮構築できなかったということか。だが、ことわっておく。私はロバートの精油が質の悪いものだなどとは口にしたことはない。そこは忘れないで欲しい。今のところ立証できないからだ。

2013年6月4日火曜日

続 ジャン・バルネ博士のこと②

バルネ博士のもとに、ある精油(エッセンス)生産者が手紙を寄せてきた。
博士はそれを著書で紹介している。

***

「専門家たちは自分が勧めたり売ったりしているものの純粋さを知ろうと思ったことがあるのでしょうか。精油を何かで「割る」ことは頻繁に行われています。 

良質のタイムのエッセンスは150フランはするのに、40フランのタイムのエッセンスがあったり、210フランは下らぬはずのクローブエッセンスが半額ぐらいで売られているのが何より証拠です 《中略》組成について何もわからない『割』ってあるエッセンスを使うことで生じるリスクを犯す権利が、専門家にあるのか。精油を扱う業者は、以前からいろいろなまぜものをする傾向があります。

香水業者、石鹸メーカーなどは安価に、よい香りの製品を売ることを重視するからです。しかし、ことアロマテラピーに関しては、値ははっても、絶対に高品質の製品を求めなくてはいけません」

***

ジャン・バルネ博士は、その意見の正しさに心から賛辞を呈し、その手紙の発信人に「私が心配していることも、まさに同じです」と返信した。

いま世界で生産されている精油(エッセンス)の9割以上は香水用、香料用だ。
アロマテラピー用に、注意深く安全につくられている精油は5~10%たらずなのが実情である。

精油がセラピストに、またそのトリートメントをうける人々にどんな影響を及ぼすか、もう一度、みなさんに考えていただきたい。

そしてことに、「アロマテラピー用」精油を販売する業者のかたがたの良心に、それをぜひ訴えたい。

英国におけるアロマテラピーの歴史③ ロバート・ティスランド

さあ、あわてたのは、それまで「ひっそりと」アロマテラピーをマルグリット・モーリーから教わっていたシャーリー・プライス、ミシュリーヌ・アルシエ、ダニエル・ライマン その他のアロマセラピストたち。

彼女らは、まったくどこの馬の骨ともしれぬヒッピーあがりの若い男に先を越されてしまったわけですからね。

「アタシたちこそ、英国アロマセラピーの先駆者よ!」っていうことで、大慌てでアロマセラピスト会議を開き、「我こそは本家本元なるぞ。将軍なるぞ(shogunと記事にあります)」と、肩をそびやかしあっていたとか。ともかく、ここで国際アロマセラピスト連盟(IFA)ができ、英国に6000人から7000人もの「アロマセラピスト」が突如として誕生し、「ロバートなんてあんなの若輩者よ」と言い立てました。

2013年6月3日月曜日

英国におけるアロマテラピーの歴史② ロバート・ティスランド


前回ヒッピーについて書きました。
今回は、ヒッピー達と英国におけるアロマテラピーの歴史の本題に入りましょう。

ロバート・ティスランド 

ヒッピー達のコミューンの一つに大して教養がないのに自然療法を自己流にナマかじりして、これにふけり、「研究」(笑っちゃう)するグループがありました。そこに、アロマテラピーを学んでいたロバート・ティスランドという青年がいました。彼は、ビートルズを真似て音楽をやっていてギターの演奏に凝ったこともありました。彼の学歴は、さっぱりわかりません。
同じコミューンの一員にマギー・ティスランド(旧姓は不詳)がいました。

たしか彼女は、ホメオパシー研究者を気取っていました。マギーは、ロバートのアロマテラピーに魅せられ、やがて二人は理(わり)ない仲になりました。どちらも家出をして社会通念をぶち壊したこの二人が、結婚などというヒッピーの彼らが否定していた行為(社会秩序・社会通念に則った行為)を行ったわけです。


後にこの二人は離婚しますが、マギー・ティスランドは、
「要するにあの頃の私は、不良だったのよ」と、
総括(笑)したのを私は本人から直接聞きました。

ジャン・バルネ博士の大著『アロマテラピー:~植物エッセンスによる疾病の治療~』は、ロバート・ティスランドがアロマテラピーをかじり始める4、5年前に早くも英訳されて英国に紹介されていましたが、当時これに注目する英国人はほとんどいませんでした。

 もとよりフランス語など読めも話せもしないロバートのことですから、彼はバルネ博士の英訳本を何かの折に見たのでしょう。ロバートは、これに何か閃くものがあったと思われます。彼は、「そうだこれだ!」と、乏しい脳漿を絞りに絞って仲間に散々知恵を借りてシャカリキに その書物(バルネ博士の英訳本)に取り組む姿が目に浮かぶようです。

そしてヒッピー運動の消滅とともにこのコミューンが、いわば流れ解散した後、俗物に成り果ててしまった(ヒッピーであったことが唯一の売りものだったのに)ロバートがこのアロマテラピーを英国に何とかして広め、精油を売る会社を自分で創って一儲けしようと考えたのは、十分にわかります。

まあ、無教養な人間としては、なかなかの男と言いたいところですが、私は少なくとも3人くらいで共謀したものと睨んでいます。

そして、ロバートの処女作『The Art of Aromatherapy,邦題:アロマテラピー:~芳香療法の理論と実際~』に19世紀~20世紀に流行ったキリスト教系新興宗教の断章、つまり、リバイ・ドーリングの『Aquarian Gospel、邦題:寶瓶宮福音書』はじめ、英国で注目され始めていた中国伝統医学に関する本を拾い読みし、ネタあさりをし、英国人に人気のある占星術や魔術などのオカルト的内容をアロマテラピーにことさらに結び付けようとしました。なにせハリー・ポッターにあんなに熱狂するお国柄ですからね。

このロバートの本を、彼らの精油商売のバイブル本にしたのです。

この原稿(ロバートの処女作)を受け取った出版社のC.W.Daniel社は、
「コイツは、10年がかりで売る本だろう」
と、考えて刊行に踏み切りました。

ところが、ロバートにとっても出版社にとってもまことに幸運なことが起こりました。
英国の幾つかの大手の大衆雑誌の編集者たちがロバートの著書を一読して、
 「こりゃ面白い本じゃないか!オレたちの雑誌で大きく取り上げて話題にしよう!」
と、言ってくれたのです。

そんなきっかけで、大半の読者が見たことも聞いたことも無かったおフランス発のアロマテラピー(英語で言うところのアロマセラピー)なる新しくユニークな自然療法を各雑誌が挙(こぞ)って取り上げました。するとこれが評判に評判を呼び、ロバート・ティスランドという誰も知らなかった男の初めてのアロマテラピー解説書(『The Art of Aromatherapy,邦題:アロマテラピー:~芳香療法の理論と実際~』)は、出版元もロバートも全く予期しなかったベストセラー本の仲間入りをしました。

こうして、ロバート・ティスランドは、一躍まるでアロマテラピーの元祖であるような扱いを人々から受けるようになりました。

2013年6月2日日曜日

英国におけるアロマテラピーの歴史① ヒッピーの出現

そもそも、英語ではアロマテラピーという発音ではなくアロマセラピーと発音する。

ヒッピーの出現

米国がベトナムの独立を圧殺しようとして在りもしない北ベトナムが米国の艦船を砲撃をしたというデタラメをでっち上げて大義なきベトナム戦争を開始した。
米国にとっては、事実上の侵略戦争であった。そこで、米国、英国、西ドイツのあまり教育・教養がない当時の若者たちは、この戦争に反対して様々な活動を展開した。その中で一番有名なのはヒッピーである。
このヒッピーたちは、ベトナム戦争に反対するだけでなく近代合理主義自体を否定して自然に帰れ というだけでごく根の浅い感情的運動を繰り広げました
これは、彼らが自分たちの主張をきちんと理論付けできない 将来の展望を切り開くだけの哲学のない連中だったからです。ヒッピーたちの生んだものとしては、大麻やドラッグ類(LSD; Lysergic acid diethylamide)などを吸飲してハイな精神状態で歌うロック音楽やサイケデリックな絵などが挙げられます。これらは、ひたすら感情をぶつけること で生み出されるモノです。
彼らの文化としていまも残っているのは、ジーンズ、Tシャツ、グループサウンズなどでしょう。

ヒッピーたちは、それぞれ20~30人 が集まってコミューンをつくる者が多くいまし た。このコミューンには、様々なものがあり、あるコミューンでは、メンバーが皆スッポンポンのヌード姿で過ごし、当然のごとく乱交していました。また、あ るコミューンでは皆がそろってロック音楽を作詞作曲してそれを演奏したり歌ったりしていました。この歌詞の陳腐なことと言ったら!
一例を挙げれば、ビートルズの「Let it be」というヒットソングがありますが、それよりもずーっと前に世界的にヒットしたドリス・デイの「Que sera sera」とどれほど違うものでしょうか。
また、あるコミューンでは、現代医学を否定して、中国伝統医学・ホメオパシー・ハーブ医学・マッサージ療法・アロマテラピーなどの自然療法を自己流にかじって耽ってみたりしました。
でも、これらヒッピーたちの産んだ文化を仔細に吟味すればその凡庸さに皆さんはお気づきになる筈です。
哲学がない彼らは、結局のところ今までの社会秩序・社会通念の世界に戻るしかなかったそのことがヒッピー文化に痛ましくも象徴的に表現されています。
また、彼らが今日のホームレスと決定的に違うのは、彼らには金があり、日がな一日、ドラッグなどにふけり、ブラブラしていられたところでしょう。

現代文化そのものが戦争などの悪の根源であるとして、これを完全否定した代表格のビートルズは、いまやトイレだけでも12もある大豪邸をもつタダの大金持ちの大俗物に成り下がってしまった(つまり、今までの社会秩序・社会通念の世界に戻る)ということがその当初から予見されていたといえましょう。 

2013年6月1日土曜日

ホメオパシーと支配星にまつわる話


バルネ博士のアロマテラピーは、特殊な形態をもつものであっても、やはり「植物療法」の一つとして、あくまで科学的な手法を用いて、その作用を追求し、効果を確認する科学的なものである。

これに反して、マルグリット・モーリーのアロマテラピーは、再婚相手のホメオパシー医のモーリーの影響で、どうもホメオパシー的な色合いが強い。 

そんなところに、バルネ博士の本をパクッたロバート・ティスランドが惚れ込んだらしい。
ロバートのアロマテラピーは、この両者の間をふらふら往来する奇妙な、科学的にみえたり非科学的に感じられたりする「ブレ」るアロマテラピーだ。

ホメオパシーは、少量を用いるから有益だが、大量だと有毒(ほかにもいろいろ理屈を並べるが、要はそういうこと)な物質を利用する自然療法と称する。

でもこれは、科学的うんぬんを論じる以前の日常的常識。たとえば食塩は生命の維持に不可欠だが、摂りすぎてはさまざまに体に害を及ぼす。水だって同じこと。ただの水でも大量に飲めば、胃の中の胃酸が薄まって消化不良をおこす。

しかも、有毒物を水にまぜて薄めたものが人体に有効だというが、その物質の分子が、計算上、1個も入っていなくても、その物質は「霊魂」化して有効性を失わないという。ここで、多くの人は、もうこれはオカルト的だ、ついていけないと考えるだろう。

ロバート・ティスランドは、これをアロマテラピーにあえて導入した。英国人の魔術・神秘愛好趣味を考えてのことだと思う。英国のハーバリスト、アロマセラピストは、人体や植物体などに一定の影響を有する「支配星」なんていうのを好んで持ち出す。そりゃ、太陽や月のような天体が地球に、生命体に影響するのは当然だが、地球からはるかに離れた金星・火星・木星・土星・さらには天王星が、人を選んで、植物体を選んで影響を及ぼすなど正気で考えられるだろうか。

そういえば、ある占星術師が自分の母は蟹座生まれだったせいで、ガンで死んだといっていた。(カニは英語でcancer、ガンの意味もある)ことを思い出す。蟹座生まれの人は、全員ガンで死ぬらしい。さあ大変だ。