2013年6月11日火曜日

花の香りを連想させる詩③

Les Roses de Saadi サーディーの薔薇

MARCELINE DESBORDES-VALMORE(マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール)

題名の「サーディー」というのは、13世紀のイスラム教世界(ペルシャ)の大詩人で、野蛮なヨーロッパでも有名になった人物。

この詩は18~19世紀のフランスの女流詩人、デボルド・ヴァルモールが、このペルシャの大詩人の詩集の序文に想いを得て書いたもの。

デボルド・ヴァルモールは、歌手、女優として、一生を赤貧と人生苦とのうちにすごした。
しかし、その作品の深い感情と韻律の美しさは、後世の詩人たちを心から感動させた。


J'ai voulu ce matin te rapporter des roses
(けさ、あなたに薔薇をお届けしようと思い立ちました)

Mais j'en avais tant pris dans mes ceintures closes
(けれども、結んだ帯に摘んだ花をあまりたくさん挟んだため)

Que les nœuds trop serrés n'ont pu les contenir
(結び目は張り詰め、もう支えきれなくなりました)

Les nœuds ont éclaté. Les roses envolées
(結び目は、はじけました。薔薇は風に舞い散り)

Dans le vent, à la mer s'en sont toutes allées.
(ひとつ残らず、海に向かって飛び去りました)

Elles sont suivi l'eau pour ne plus revenir
(潮のまにまに運ばれて、はや二度と帰っては参りません)


La vague en a paru rouge et comme enflammée
(波は花々で赤く、燃え立つように見えました)

Ce soir, ma robe encore en est toute embaumée...
(今宵もまだ、私の服はその薔薇の香りに満ちています)

Respires-en sur moi l'odorant souvenir
(吸って下さい、私の身から、その花々の芳しいなごりを)

(入江康夫氏訳)


なんという美しい名だろう。マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール。
そして、行間から香りが匂い立つかと疑われる、美しいバラとその芳香とのイメージ。

私は学生のころ、フランスの名詩を美しく朗唱することに同級生たちと夢中で打ち込んだことを懐かしく思い出す。

ボードレール、ヴェルレーヌ、そしてとりわけこの、 デボルド=ヴァルモールの詩を。
女性ならではの官能性に満ちたこの陶酔させる詩を。

「ヒッピー」とティスランドたちのこと


ヒッピーは、1960年代、米英で主として白人中流家庭の青年が、いまのホームレスとは異なり、家をただ飛び出し、近代合理主義自体を哲学なしに否定して、折からのベトナム戦争に反対した連中だ。

私は、ヒッピーというものが、本当に現代の戦争で儲ける人間に、心底から反対し、また、黒人を人間として認めることを強く主張したなら、そして白色人種中心主義を否定したなら、ヒッピーをよしとしたろう。

しかし、彼らは黒人差別主義、世の貧富の格差を何とも思わなかった。彼らは現状を「何となく否定し、哲学が貧困なまま」、どう世の中を変革していくかを突き詰めて考えていなかった、小金持ちのお坊ちゃん、お嬢ちゃんなのである。
だからLSDなんていう高価なドラッグにふけって、一日中ブラブラしてられたのだ。

 ヒッピーに黒人はいない。このことに注意してほしい。
彼らは、食っていくのがやっとだったからだ。黒人歌手、ギターの鬼才、ジミ・ヘンドリックスは黒人だが、白人青年むけに白人たちの手で売り出された人間であり、彼はヒッピーではない。いわば、サル回しの芸達者なサル同然の黒人だった。

女性歌手、ジャニス・ジョプリンは、白人にちがいないが、どう現状を変えていけばよいのかわからなかった。ジミ・ヘンドリックスは黒人たちからは黒人を裏切り、白人にへつらう裏切り者とされ、苦しんだ。彼は黒人公民権獲得運動もしていたのだが。当時は救急車も黒人だと搬送もしなかった。病院も黒人をうけいれなかった。

多くのヒッピーは、ベトナム戦争が米国の敗北に終ると、旧態のままの社会体制、社会通念の世界に戻ってしまった。IT技術に関連して大儲けした人間もいたし、ビートルズのように歌手として大金持ちになったものもいた。

白人のジャニス・ジョプリンは、現状に反抗するすべを知らぬまま、ヘロインで現実から逃避し、結果として自殺同様に、27歳で死んだ。

ジミ・ヘンドリックスはヒッピーにすらなれぬまま、やはり薬物死した。同じく27歳だった。
この2人は舞台でのパフォーマンス以外には反抗のすべを見いだせぬまま、ヒッピー的人生を最後まで全うして「筋を通した」人間だった。

しかし、ロバート・ティスランドやその妻マギーたちは、たんなる流行に乗って自然医学をかじるヒッピーにすぎなかった。そして、流行の終りとともに、その運動の本質もケロリと忘れて俗物になり果てて、アロマテラピーで一儲けした。「地金がでた」というべきだろう。

花の香りを連想させる詩②

前回の杜牧(とぼく)と同じ晩唐9世紀の詩人、高駢(こうべん)の『山亭夏日(さんていかじつ)』も、私の好きな詩だ。夏の山荘における暑さのなかで、バラの香りとともに、一抹の清涼感を覚えたときのこと。

緑樹陰濃 夏日長 りょくじゅ かげこまやかにして かじつながし
楼台倒影 入池塘 ろうだい かげをさかしまにして ちとうにいる
水晶簾動 微風起 すいしょうれんうごいて びふうおこる
一架薔薇 満院香 いっかのしょうび まんいん かんばし

《通釈》
緑の樹は、陰もこまやかにこんもり茂り
夏の一日はのんびり長い

山荘の建物は影をさかさまにして
静かな池の水面に映っている

水晶をはめたすだれがすこし動いて
少しそよ風があるようだ

その微風で棚いっぱいにおいたバラの香りが
庭中にさわやかに満ち満ちた・・・

「一架の薔薇」は「満架の薔薇」と同じ。
「一」と「満」が同じというのは変かもしれないが、「一面の菜の花」「満面の笑み」ということを想起して頂きたい。

楼台(ろうだい)は、高殿の意味。この詩は「七言絶句(しちごんぜっく)」という形式で詠まれたもので、言外に山の静けさがうかがわれ、詩人が思わずバラの香りに酔うさまを思い浮かばせる。
この詩人はその後、悲劇的な最期を迎えるのだが、未来のことが判らないところに人間の幸せがあるのだろう。

次回は、趣を変えてフランスの香りの詩をご紹介したい。

2013年6月10日月曜日

花の香りを連想させる詩①

花の香りを連想させる詩①

アロマテラピーの世界の問題を云々するよりも、花の香りを詩の世界で嗅ぎたくなった。
9世紀晩唐の詩人、杜牧(とぼく)の詩からはじめよう。


清明時節 雨紛紛(せいめいのじせつ あめふんぷん)
路上行人 欲断魂(ろじょうのこうじん こんをたたんとす)

借問酒家 何処有(しゃもんす しゅかいずこにかある)
牧童遥指 杏花村(ぼくどうはるかにさす きょうかのそん)

《通釈》
清明(四月)の頃に、雨はしとしと降る
旅路を行く私はひとり、春の愁いに耐えられぬ思いに包まれる
なあ、聞くが、酒屋はどこにあるのかい
そう家畜を追う少年に尋ねると、少年は黙ったまま、
 遥か遠くの杏の花に包まれた村を指した

―――――――――

(高山)
人生の行路を、ひとりそぼ降る雨のもとを歩む私も、杏の花の香りに包まれながら、一杯やりたくなっちゃった。

2013年6月7日金曜日

可能な限り品質のよい精油が必要な理由

よく一般向けのアロマテラピー本を見ると、「フランスでは、医師がアロマテラピーを実践しており、街の薬屋でも精油を売っており、医師はアロマテラピーに従って処方をしている」などという、とんでもないヨタ話が多く載っている。

これはすべてウソである。

精油はフランスでは健康保険適用ではない。この事情は、英国でも同じである。

私の尊敬する先生、東野利夫先生(敗戦直前の九大での米兵の生体解剖事件にたちあい、その経験を『汚名』として発表して話題を呼んで、先年テレビにも出演した方だ)は、そんなデマ記事を信用なさって、渡仏し、「アロマテラピーやあい」とばかり、フランスで何人もの医師に会って、この自然療法のことを問うたが、誰ひとりとしてアロマテラピーを知っている医師に会うことができず、がっくりして帰ってきた、とおっしゃっていた。

現在、EBM(エビデンスに基づいた医学)ということがよくいわれる。evidence-based medicine は「根拠に基づく医療」ということで、つまり「眼前の患者の状態にしかじかの治療を適用してよいか否かを検討する行動指針に立脚して行う、医学・医術」の意である。

アロマテラピーも、現行の法律はさておき、かりにも「医療」を名乗るなら、できる限りこの要件を満たさなければならないとお考えかもしれないが、アロマテラピーの薬理理論からすれば、真の天然精油ならば精油の成分に年々の多少のブレがあっても、これを問題視しない。

現在、ジェネリック医薬品といわれ、厚労省の認可をうけている薬剤もプラスマイナス20%の、先発医薬品との差が許されている。だから、医師によっては後発医薬品、すなわちジェネリック医薬品を絶対に処方しない医師はたくさんいる。厚労省のチェックが甘すぎるというのだ。

しかし、天然自然の「薬剤」である精油にそれを厳しく求めるのは不可能だ。でも100%天然の精油、それも高圧をかけず高熱で成分をむやみに破壊しない精油を用いなくては、全く話にならない。

クライアントをリラックスさせる力すらない、そんなまがい物を「アロマテラピー用精油」などと気やすく呼んで欲しくない。

マルグリット・モーリーのこと その2

マルグリット・モーリー(1895~1968)は、世紀末のオーストリア、ウィーンで生まれた。

父親は羽振りのよい実業家で、ウィーンで活動していたクリムトら世紀末芸術家のスポンサーまでやっていたが、事業の失敗から自殺し、残された妻子は苦しい生活を強いられた。

しかしマルグリット(正式にはマルガレーテ・ケーニヒ)の偉いところは、父親のように人生を投げ出さず、苦しいい生活を送りながら、懸命に医学の勉強をし、外科医の助手になった。これは当時の女性のつける最高の職種だった。

話は前後するが、父を失ったマルグリットは10代で結婚し、こどもも生まれた。

しかし、第一次大戦で夫は戦死し、こどもも幼くして亡くなってしまった。マルグリットは、その児の写真を生涯肌身離さなかったという。ちょっと泣かせる。

こんな辛い境遇にありながら、必死で難しい医学の勉学に打ち込んだマルグリットは偉かった。女性としての辛さと戦い、女性のハンデを逆手にとって、医学的教養をもつエステティシャンとして、再婚した夫のひたすらな援助のもと、コスメトロジーに新境地を開いた。今日のエステティシャンで、彼女ほど勉強し、技術を磨いた女性はいるだろうか。

とても男には真似できないしぶとさ (男は弱いからこそ、逆にいばってみせているのだ)ですよ。
ここではしなくも彼女はルネ=モーリス・ガットフォセの唱えた「アロマテラピー」なる自然療法を知ることになった。それからのことは、前述したので、今回は省略させていただく。思いついたらまた書く事にする。

2013年6月6日木曜日

アロマテラピーと偽科学

英国の結構有名なアロマセラピストたちも、ダウジング(dowsing)などということをやる。

ダウジングとは、本来、金属や木材などをL状にしたものを用いて、地中の水脈・鉱脈の存在を知る方法である。
 
アロマテラピーやハーバリズムなどでは、糸の先端におもりをつけ、これを行う人間は、決して手や指などに意識的に力を加えない。そして、「この精油は100%ピュアですか」とか「この病気にこのハーブは有効ですか」とかいった問いを発すると、その「振り子」が一定の動きを示し、その答えが得られるというもの。

O(オー)リングテストとかコックリさんとかと同じ原理のものと思えば良い。

そして、その通りというときには、振り子はたてに動き、ノーの場合には振り子が横にゆれるというようにあらかじめ決めておく。

すると、力も一切加えないのに、振り子がひとりでに動き出し、答えがえられるというのである。

しかし、これは偽科学と断じて差し支えない。

手・指は静止しているようでも、常にわずかに動いている。そして、頭のなかですでにできあがっている「答え」によって、その動きは拡大していく。科学的にかんたんに説明がつく。
こんなものを信じるのは愚かなことだ。

フランスのハーバリスト、モーリス・メッセゲも大まじめでこれをやる。
私が彼に幻滅した一因もそこにある。
こうした能力を持つ人間をフランスでは「radiesthésiste:ラジエステジスト、放射感知士」と称している。彼はこの国家資格を持っているそうだ。
ところが、彼が有機農法で作ったと称するものを私が日本食品分析センターで調べたところ、残留農薬が出てくるわ出てくるわ…

いつも、繰り返すが、こんな偽科学や、ホメオパシーやバッチフラワーレメディーズなどのようなプラシーボ効果しか期待できないものをアロマテラピーに結び付けないで欲しい。アロマテラピーへの人びとの信頼を落とすばかりだからだ。